コラム348 <救急車内にも笑いあり その①>
9月初旬から1か月余り、緊急入院を余儀なくされた。9月2日の明け方4時頃、洗面所からの帰り、転倒を繰り返して、これは異変が生じたと感じたからである。脳出血の後遺症には違いないのだが、やっと立ち上がってベッドに向かおうとするが、体のバランスが崩れて、すぐまた転倒する。これを三度繰り返した。チェ・ゲバラのことを思い出し、ならばと試みたが、左半身マヒの身に匍匐(ほふく)前進はままならなかった。
ここは基本的に別荘地である。あまり早い時間では住民を驚かすことになるから、七時頃まで待って救急車を呼んだ。
転倒はこのところ平均週一回程度だった。今週は転倒しないのを目標にしましょうよ、と週二回来てくれている訪問リハビリの療法士(セラピスト)と話していた矢先のことであった。〝名前が修一だから、週一回転倒するのかなあ・・・〟などと冗談を言っていたのに、この始末である。
長い間親しくしてきた近隣の馬場夫妻が、ご主人のブルーの軽トラですぐに駆けつけてくれた。連れ合いは横浜の方に帰ったばかりであったから、救急車には奥さんの千恵子さんが同乗してくれた。しばらく走ってから、救急隊長曰く、
〝うしろに付いてくるあのブルーの軽トラは、お宅の御主人ですか?〟
〝救急車は交差点でも優先権がありますが、一般の車は赤信号では止まらなきゃいけません。救急車のうしろに付いて来るのが一番早いでしょうが、危ないですから救急車を停めて注意してきます・・・〟
私は担架(たんか)に横になりながら、千恵子さんと一緒に笑った。我々は救急車の中で隊長が救急病院とやり取りしているから、どこの病院に向かっているか判っているが、御主人の東彦(はるひこ)さんはどこに向かっているのかを知らないから、はぐれたら大変とばかりに必死に付いて来たのだろう。
東彦さんは私が長い間別荘地の住民の会の会長を務めていた間、事務局長を務めてくれた方である。千恵子さんは〝最近ああいうところがね・・・ちょっと・・・〟などと呑気(のんき)なことを言っている。私より4才年上の81才の男が危険も顧(かえり)みず、青い軽トラで救急車を必死に追いかけている姿などユーモラスで、とてもいいではないか。こういう一途で、少年っぽいところが長く交流が続いてきた遠因であるのかもしれない。