コラム344 <ガラ系ケータイ電話 ── さらにスマートフォン>
柄もないのになぜガラ系なの?などと思っていたら、ガラパゴスから来ているんだってね。最初は文明に取り残された・・・という意味だったのだろうが、どうしてどうして、今や生物多様性の面からもSDGsの面からも世界の最先端ではないか。
5年前の入院生活をきっかけに、コロナ騒ぎも手伝ってケータイを持たざるを得なくなった。外部との通信手段を失ったからである。
それでも私は、未だに掛ける、受けるしか使わないが、最近いじっている内に自然に電話帳なるものを使えるようになった。
今山小屋に来て痛切に思うが、ケータイを持つ前の固定電話時代までは、山小屋の電話はめったに鳴ることがなかった。それが、ケータイを使うようになって5年たった現在、かかってくる電話は優に5倍は越えているだろう。それにつれて、こちらも掛ける。
仕事が急に増えた訳でなし、掛け放題だのという制度が、こういう軽佻浮薄(けいちょうふはく)な現象を生むのだろう。
確かに私の生活もすっかり変わった。
・訪問マッサージ:週2回
・訪問リハビリ:週2回
・訪問特殊施療:週1回
・夕方からの訪問生活介護(夕食づくり・掃除・洗濯・買物):毎日
〇ブログ(コラム)のやり取り
・仕事上の電話での打合せ
・電話会議
その他来客も少なくない。
上に記した事柄は、〇ひとつを除けば全て私が倒れてから──即ちケータイを持つようになってから始まった事柄である。
これに加えて、訪ねて来る人は全員スマホを持っているから、もうそれだけで何倍も騒々しくなるのは容易に想像できるだろう。終(しま)いには〝気軽に電話するな!〟と怒鳴りたくなることさえある。
ゆっくりトイレにも入っていられない始末だ。ハハァ、便利というのは便にも利する、という、こういうことを言うのか、とまたつまらぬことを考えたりする。
御機嫌伺いの電話も、心配してのことであろうが、あまりに繁雑になると、体調の悪い時など特に、ありがたい、というより、逆に煩(わずら)わしい感じになり、すでに皆せわしない体内時計になっているから、一度かけて出なければ3回、4回とたて続けにかけてくる。ボタンひとつで再ダイヤルが可能だからだ。もっとゆっくり生きようや。(次回に続く)