2023年9月25日月曜日

 コラム340 <殺処分一千万羽?> 


 鳥インフルエンザにより千葉県で40万羽殺処分と聞いて驚いていた。だがこうした事態がどんどん拡大して、またたく間に全国で一千万羽を越えたと云う。

 一千万羽といえば、人間の数でいえばほぼ東京都の人口に等しい。驚いたというよりも人間の身勝手な傲(おご)りに怒りの感情さえ湧いた。大量生産(飼育)── 大量消費が原因の根っ子にあるからである。そもそも殺処分とは何事か。相手は歴(れっき)とした命なのだ。

 

 こんなことが平然と許されていい訳がない。こんなことがしばしば起きるような生活を人間が続けていていい訳がない一羽一羽の治療などより、さっさと大量殺処分した方が早い(経済効率がいい)という訳だろう。牛や豚の世界にも同様のことが為される。彼らは人間にとって食糧ではあっても、すでに命ではないのである。こんな摂理に反する行為が許されると思っているのだろうか?


 人類にも新型コロナが世界的に流行した。同じ命というのなら、こちらもパンデミックに陥らぬように殺処分した方が早いというなら、戦争よりはるかに残虐なこととなるだろう。


 人間は金のためになら何でもやるような生活そのものを変えなければならない。金(かね)・金(かね)・金面(かねづら)が蔓延しているような社会の価値観を変えていかなければならない。


 喰えるだけ喰って、ビヤ樽のようになっていく生活を改めて、知足── 即ち、足るを知る生活に一日も早く切り替えなければならない。それが人類の健康のためにも、目前に迫っている食糧自給問題解決のためにも、最も近道だと知ることが必要だ。

 知足には知力がいる。不知足の世界とは欲望まかせの世界だということだ。


 大食を競い合うTV番組も少なくない。飢餓に苦しんでいる人々が世界に沢山いるというのに、TV局もTV局だ。どうしてああいうバカげた番組を組むのだろう。視聴率が高いということは、見て喜んでいる者がそれだけ多いということであるし、その分広告スポンサーを得やすいことにも通じ、広告代も高く取れるといったことになるのだろう。

 現代社会は総じて知足の人間よりはるかに不知足の人間の多い世界になった。知の力が衰え、精神の力が崩れたからである。





 年々浅はかな金面(かねづら)が多くなっていく傾向にあるのはこうした背景があるからなのだろう。地球をこれだけ痛めつけておきながら、次に月に行って何をしでかそうというのか?人間であること、人間らしくあること、人間にとって最も価値のあることとは何なのかを根本からじっくり見つめ直す時ではないのか。SDGsもやれるだけやればいいが、もう手遅れなのだ。