2025年1月27日月曜日

 コラム410 <平和 ②> 


 私の生まれ育った故郷秋田には幼い頃平和があった。18才まで秋田に住んでいたが少なくともニワトリ・牛・豚の大量殺処分のような話は聞いたことが無かった。第一そんな大量飼育そのものが無かった。平和のすべてが小さな想い出ばかりだが、夏には自転車で20~30分離れた雄物川まで泳ぎに出かけ、その頃には川には沢山の魚がいた。それを捕って帰ったり河原で焼いて食べたりしたものだ。

 秋にははるか遠くに見える奥羽山脈まで歩いて茸採りに出かけたものだ。今思えばよくもあんな遠くにまで歩いて行ったものだと思う。晩秋には木枯らしの吹く中、桜の並木道に積もった落葉をわざわざサクッサクッと音を立てて踏みしめながら通学したものだ。冬になれば雪国とはいえその頃は近くにスキー場と呼ぶほどの場は無かったから山の近くまでバスで行き停留所で降りて、スキーを担いで雪深い山道を汗だくになりながらスキーのできる斜面まで歩いた。そこからは友達と横一列に並び雪を踏みしめながら滑走路づくりから始めなけらばならなかった。おかげで1シーズン4~5キロはやせたものだ。踏み固めて作った手製のジャンプ台で、遠くまで飛び過ぎてケガしたこともあった。皆幼い頃の遊びの想い出ばかりだ。高校時代にはどうしてそんな遅くまで学校に居たのか記憶がないが、帰りのバスはもう無くなり、駅までの40分程の真っ白な夜道を数人の同級生達と一緒に歩いて帰った時の光景が忘れられない。しんしんと音もなく降りしきる綿雪(わたゆき)の道。まばらにある木の電柱にはアルマイトの笠のかかった白熱電球。これがポーッ、ポーッと辺りを温かい灯りで照らしていた。あの美しさは豪雪地帯特有の美しさだろう。


 平和とは所詮こんな小さなことの積み重ねなのかもしれない。





2025年1月20日月曜日

 コラム409 <平和 ①> 


 最近の世界情勢・世相を見ていると、この地球上のどこに平和があるのかと思えてくる。戦さは大昔からあったし、ロシアや英国、スペインに限らず領土を拡大し、大帝国を夢見た国はいくらでもある。この日本だって大日本帝国を夢見た時代があったあったではないか。

 昔と違っているのは一国どうしの戦いでは済まず、今は見える形であろうと見えない形であろうと多くの国が半強制的に巻き込まれていくところにある。日本は戦争をしていないような顔をしているが裏で巨額の軍事費を自国のみならず他国にも拠出しているではないか。

 ならば未開の地に平和があるだろうか?廃村に近い、人の少ない寒村になら平和があるだろうか?

 人間社会に限ったことではない。ニワトリもブタも牛も伝染力の強い病にかかれば、人間様は日ごろの恩をすっかり忘れて、処分という言葉を使って大量殺戮(りく)を行って平気だ。







 時々考える。人間は他の動物より高位にある、と思い込んでいるからこのようなことが平気で行われるのだが、もしも人間より高位の動物が現れて、立場が逆転したらどんなことになるだろうか・・・と。

 鳥インフルエンザはしばしばだし、狂牛病しかり、豚だってこれまでどれほど殺されただろう。


2025年1月13日月曜日

 コラム408 <ダイヤモンド> 


 裏金にばかり目くじらを立てずに、我々の日常生活の裏側にも目くじらを立てる必要がある。


 ダイヤモンド採掘のために自然が破壊される。その採掘のために、現地周辺の貧しい人達が雇われる。それを雇用が生まれると云って一面で喜ばれる向きもある。

 そうして採掘された原石が加工され、我々の元に届く。それが女性達の(今や女性達ばかりとは云えない)指の上で、胸元で、キラキラと輝く。女性達はその輝きを喜び、経営者達は利益を手中にして喜ぶ。採掘人達は少ない賃金で、やっと生活を成り立たせる。


 雨上がりに葉先に残る水滴が夕陽に輝いていたあの無数のダイヤモンドとは違う。日本の先住民族アイヌ達が見た金の滴、銀の滴とは違う。


 太陽光パネルや電気自動車の充電池に使われる原材料や原子力発電に使われるウラン、その他にも沢山あるだろう。共通するのはいずれも大規模な自然破壊、環境破壊を伴うことだ。その裏にある構図は上記のダイヤモンドと同じだ。何が人類の取るべき道なのか、一面的に考えないで採掘から廃棄まで総合的に考える必要がある。イーロン・マスクなどという人は何重にマスクしても足りない。企みはウィルスと同様外からでは見えないからだ。


  



2025年1月6日月曜日

 コラム407 <身体に異物を入れることについて> 


 新年早々身体の苦痛の話とはいただけないが、次の新型コロナワクチンのさらなる危険性について、ちらほら聞こえてくるようになったから書いておく。

 前回の新型コロナワクチンを3回接種して、私の身体は大きなダメージを受けた。受けてからもう数年も経つが、マヒ側の左半身は筋肉の強烈な緊張・ひきつれが未だに抜けない。何度打っても平気な人も多いようだが、油断しないほうがいい。脳出血で左半身マヒの基礎疾患のある私には完全に禍(わざわい)した。人間的な担当医と名セラピスト達に恵まれ、自身も自主トレに励んだから、リハビリの効果は順調に進んでいただけに無念なことだった。私だけではなく、後遺症に苦しんでいる人は少なくない。臨床データが少ない内に接種を始めなければならなかった事情までは理解するとしても、ならば余計接種を薦めた国はその後の結果を調査し、そのデータを公表すべきなのに、その後の後遺症については知らんぷりだ。その上さらに新しいワクチンを打とうとしている。


 さらに昨年9月に松本市内の病院で打ったボトックス注射も禍した。これはチャレンジであったが、結果苦しみが倍加し、接種して二ヶ月経過した現在の苦しみは耐え得る限界に近く、終日苦闘の日々が続いている。ボトックス注射は現在の最先端治療法ということになっているが、打つべき筋肉の特定にはもっと慎重さが必要であった。





 私はこの二つの経験を通じて身体に異物(毒物)を入れることへの抵抗を強く感じるようになった。インフルエンザ予防の注射さえこれまで打ったことのない私の身体は、異物への対応に混乱をきたしてしまったのだ。色々な病院・薬・治療法にチャレンジしてきたが、私の場合にはいじればいじる程、ひどいことになっていく。


  〝9月に打ったはボトックス

   今必要なのはデトックス〟


こんな冗談ともつかぬことを言って笑い飛ばしていないと、身がもたない。





2024年12月30日月曜日

 コラム406 <叱るついでに・・・> 


 先入観なのか怒る(おこる/いかる)よりも叱(しか)るの方がやわらかい印象がある。童謡に『叱られて』という歌があった。これが『怒られて』では童謡の感じが出ない。

 秋田に住んでいる姉は83才になった今も合唱団に所属しているというから、『叱られて』の歌詞を送ってもらった。


  1. 叱られて叱られて

   あの子は町までお使いに

   この子は坊やねんねしな

   夕べさみしい村はずれ

   コンときつねがなきゃせぬか

      (清水かつら作詞 弘田龍太郎作曲)


一番のみ記したが、大正9年作曲とある。同じ作曲家の『金魚の昼寝』の歌詞も添えられてきた。


  1.  赤いべべ着たかわいい金魚

   おめめさませばご馳走するぞ

  2. 赤い金魚はあぶくを一つ

   昼寝うとうと夢からさめた

       (鹿島鳴秋作詞 弘田龍太郎作曲)


ついでに私の好きな『ドングリコロコロ』の歌詞も書いておこう。


  1.どんぐりころころドンブリコ

   お池にはまってさあ大変

   どじょうが出て来てこんにちは

   坊ちゃん一緒に遊びましょう

  2.どんぐりころころよろこんで

   しばらく一緒に遊んだが

   やっぱりお山が恋しいと

   泣いてはどじょうをこまらせた

       (青木存義作詞 梁田貞作曲)





77才にして私でもいまだに口ずさめる。これを読んだだけでも人間の心の素朴ないい時代であったろうと思う。今の日本にはこんな純朴な歌が生まれる土壌も背景もない。

 現代には童謡というものがあるのかなあ・・・?


2024年12月23日月曜日

 コラム405 <子供叱るな来た道だ・・・> 


 〝子供叱るな来た道だ

   年寄り叱るな行く道だ〟


 誰でも知っている言葉かもしれないが、私自身はいつ、どこで、誰から聞いた言葉であったか覚えていない。それでも言葉だけはず~っと覚えている。全くその通りだ、と思ったからである。


 通りや駅のコンコースなどでしばしば見かけるのは、若い母親が幼子を激しく怒っている寒々とした光景である。手をグィッと引っ張ったり、〝置いていくわよ‼〟と怒鳴ったりして、子供はギャーギャーと泣き叫んでいる。置き去りにされるのは子供には怖(こわ)いことだからである。

 こんな怒り方をされながら育って、温かい情緒を持った人間に育っていくのだろうか。子供を怒る前に、すでに苛立っている親自身を怒らなければならない。日中子連れは母親が多いから、父親も家の中で同様なのかもしれないと思ったりする。子供を躾けることは大事なことだが、子供だけでは済まぬ世相である。親の躾は誰がするのだろうか。


 人間個々のあり方が世相を作るのであろうから、この苛立った日常の心はどこから来ているのかと考えなければならない。

 『論語』の中に「吾日(われひ)に吾が身を三省す」という言葉がある。曾子(そうし)の言葉のようだが日に三回反省する、というよりも我が身を省みて、たびたび反省するというような意味だろう。反省ばかりして実践に結びつかなければ意味がないというものだが。40年以上家づくりに携(たずさわ)わってきて感じるのは、住宅や住まいのあり方がこの苛立ちに与える影響の大きさである。小さくてもいいから、自分たちのフィーリングに合った住生活をつくり、それこそ自分達のフィーリングに合った住生活をつくり出すことである。この方が『論語』よりも楽しく取り組めるし、容易というものである。それさえ出来ないというのであれば、私にはもう何も言うことはありません。

  



2024年12月16日月曜日

 コラム404 <有井日出子さんの座右の銘> 


 古美術商 有井日出子さんとは古美術骨董品を通じて長い間交流させてもらった。私が脳出血で倒れるまでは、ほぼ毎月伺った。住まい塾の大阪本部は豊中市服部にあるし、有井さんは宝塚市の売布であったから、阪急宝塚線一本で30分程の距離というのも幸いした。

 美術館と古美術商との違いは美術的価値においてグレードの差こそあれ、一方は手に取って触って観ることができないのに対して、古美術骨董店では基本的に手に取って、その感触を確かめられるところが違う。ガラス越しに見るのと、手に取って観るのとでは大違いなのである。美術館で茶碗などの見込を見たく、頭をせり出し、大きなガラスに頭をぶつけてゴ~ンと会場内に音を鳴り響かせ、隅に座っている見張り番に睨(にら)まれたことは二度や三度ではない。有井さんのところは自宅兼であったから余計に気楽であった。

 

 一見世話好きの浪花のおばちゃんのように見えるが、私より一廻り以上年上であったし、戦中戦後を通り抜けた苦労人でもあったから気遣いも心配りも細やかであった。骨董・古美術品を見せてもらうだけでなく、人間的なことに関しても多く教えられた。そのひとつが有井さんが座右の銘にしているという次の言葉である。


 〝受けた恩は石に刻み、かけた情は水に流す〟


 人間関係も豊富であった有井さんは、これまでどれほどかけた情を水に流してきたことか。