コラム408 <ダイヤモンド>
裏金にばかり目くじらを立てずに、我々の日常生活の裏側にも目くじらを立てる必要がある。
ダイヤモンド採掘のために自然が破壊される。その採掘のために、現地周辺の貧しい人達が雇われる。それを雇用が生まれると云って一面で喜ばれる向きもある。
そうして採掘された原石が加工され、我々の元に届く。それが女性達の(今や女性達ばかりとは云えない)指の上で、胸元で、キラキラと輝く。女性達はその輝きを喜び、経営者達は利益を手中にして喜ぶ。採掘人達は少ない賃金で、やっと生活を成り立たせる。
雨上がりに葉先に残る水滴が夕陽に輝いていたあの無数のダイヤモンドとは違う。日本の先住民族アイヌ達が見た金の滴、銀の滴とは違う。
太陽光パネルや電気自動車の充電池に使われる原材料や原子力発電に使われるウラン、その他にも沢山あるだろう。共通するのはいずれも大規模な自然破壊、環境破壊を伴うことだ。その裏にある構図は上記のダイヤモンドと同じだ。何が人類の取るべき道なのか、一面的に考えないで採掘から廃棄まで総合的に考える必要がある。イーロン・マスクなどという人は何重にマスクしても足りない。企みはウィルスと同様外からでは見えないからだ。