2024年12月23日月曜日

 コラム405 <子供叱るな来た道だ・・・> 


 〝子供叱るな来た道だ

   年寄り叱るな行く道だ〟


 誰でも知っている言葉かもしれないが、私自身はいつ、どこで、誰から聞いた言葉であったか覚えていない。それでも言葉だけはず~っと覚えている。全くその通りだ、と思ったからである。


 通りや駅のコンコースなどでしばしば見かけるのは、若い母親が幼子を激しく怒っている寒々とした光景である。手をグィッと引っ張ったり、〝置いていくわよ‼〟と怒鳴ったりして、子供はギャーギャーと泣き叫んでいる。置き去りにされるのは子供には怖(こわ)いことだからである。

 こんな怒り方をされながら育って、温かい情緒を持った人間に育っていくのだろうか。子供を怒る前に、すでに苛立っている親自身を怒らなければならない。日中子連れは母親が多いから、父親も家の中で同様なのかもしれないと思ったりする。子供を躾けることは大事なことだが、子供だけでは済まぬ世相である。親の躾は誰がするのだろうか。


 人間個々のあり方が世相を作るのであろうから、この苛立った日常の心はどこから来ているのかと考えなければならない。

 『論語』の中に「吾日(われひ)に吾が身を三省す」という言葉がある。曾子(そうし)の言葉のようだが日に三回反省する、というよりも我が身を省みて、たびたび反省するというような意味だろう。反省ばかりして実践に結びつかなければ意味がないというものだが。40年以上家づくりに携(たずさわ)わってきて感じるのは、住宅や住まいのあり方がこの苛立ちに与える影響の大きさである。小さくてもいいから、自分たちのフィーリングに合った住生活をつくり、それこそ自分達のフィーリングに合った住生活をつくり出すことである。この方が『論語』よりも楽しく取り組めるし、容易というものである。それさえ出来ないというのであれば、私にはもう何も言うことはありません。