コラム410 <平和 ②>
私の生まれ育った故郷秋田には幼い頃平和があった。18才まで秋田に住んでいたが少なくともニワトリ・牛・豚の大量殺処分のような話は聞いたことが無かった。第一そんな大量飼育そのものが無かった。平和のすべてが小さな想い出ばかりだが、夏には自転車で20~30分離れた雄物川まで泳ぎに出かけ、その頃には川には沢山の魚がいた。それを捕って帰ったり河原で焼いて食べたりしたものだ。
秋にははるか遠くに見える奥羽山脈まで歩いて茸採りに出かけたものだ。今思えばよくもあんな遠くにまで歩いて行ったものだと思う。晩秋には木枯らしの吹く中、桜の並木道に積もった落葉をわざわざサクッサクッと音を立てて踏みしめながら通学したものだ。冬になれば雪国とはいえその頃は近くにスキー場と呼ぶほどの場は無かったから山の近くまでバスで行き停留所で降りて、スキーを担いで雪深い山道を汗だくになりながらスキーのできる斜面まで歩いた。そこからは友達と横一列に並び雪を踏みしめながら滑走路づくりから始めなけらばならなかった。おかげで1シーズン4~5キロはやせたものだ。踏み固めて作った手製のジャンプ台で、遠くまで飛び過ぎてケガしたこともあった。皆幼い頃の遊びの想い出ばかりだ。高校時代にはどうしてそんな遅くまで学校に居たのか記憶がないが、帰りのバスはもう無くなり、駅までの40分程の真っ白な夜道を数人の同級生達と一緒に歩いて帰った時の光景が忘れられない。しんしんと音もなく降りしきる綿雪(わたゆき)の道。まばらにある木の電柱にはアルマイトの笠のかかった白熱電球。これがポーッ、ポーッと辺りを温かい灯りで照らしていた。あの美しさは豪雪地帯特有の美しさだろう。
平和とは所詮こんな小さなことの積み重ねなのかもしれない。