2019年9月23日月曜日


コラム 131 < 食について/普通であることの大いなる惠み > 

私はすでに72才になった。中には豪傑もいて、70才を過ぎても酒豪・大食漢という人もいる。私はその辺まあ普通で、うまいものをもりもり食べたい、うまい酒をぐいぐい飲みたいという年令を疾うに越えている。脳出血を起こして左半身の自由がきかなくなってからというもの、余計にそうなった。
それだからこそというべきか、少量を、器から配膳に至るまで〝美しく食べたい〟という思いが以前よりさらに強くなった。幸いなことに伴侶が美的センスに恵まれているから救われているが、一方残念なことに、こちらの左手の自由がきかないから美しい食べ方ができない。極力左手を参加させるように努め、朝食後の食器洗いなどはリハビリを兼ねてできる範囲で自らやっているが、手や指が細やかに動くなどということは奇跡的な惠みであることを教えられている。普通であることすべてが大いなる恵みであることを知らされただけでも、健康そのもので歩んできたかのような私にはこの世に生まれ出た人生の甲斐があったと考えなければなるまい。苦しんでいる人が身近にこれ程多くいることにも気付かされた。

2019年9月16日月曜日


コラム 130 < 久々のブログ再開 > 

私のブログ『―信州八ヶ岳―山中日誌』は129回で途絶えた。2018年2月に脳出血で倒れて左半身マヒとなり、続けることができなくなったからである。あれから約一年半余り、数え切れない程多くの人たちに支えられながらリハビリに努めてきた。
寝返りもうてず自分の左腕がどこにあるかも判らないような当初の状態よりは格段によくなっているが、御世話になった方々への御恩返しが何百分の一でもできる程度までには回復したいという自分の思いに比すれば恢復の程度は捗々しくない。右手が動くのだから字や文章位書けそうなものだが脳の病はそう単純ではない。

私のやられた部位は視床というところだが、それがどの辺にあるのか私は知らない。が、どうも色々なところへの運動神経の通過点になっているようで、それ故左半身の各所に影響が及ぶことになった。幸い予想された言語への障害は、自分にはもつれる感があるが、他人にはそれ程には聞こえないらしく、言語のリハビリも早々に卒業となった。今回初めて知ったのであるが、舌の神経も中心から左・右に分かれているとのことで、左側にマヒ状態が残った。それと関連しているのか口の中全体が軽く火傷を負ったような感触となり、口腔外科では「舌痛症(ぜっつうしょう)」と診断された。病名はあるが原因がはっきりしていないとのことで治療法もこれといって無し。神経から来ているのだろうと言われているとのことであるから今回の病と関連していることは確かなようだ。それ故熱いものは自然に遠ざけることとなり、自ずと味覚にも影響が及ぶこととなった。それでもうまいものはうまいし、まずいものはまずいと判別がつく程度に留まっているから・・・・・まあ いいか。
今最も強く残っている後遺症は左半身、特に肩から腕・指先までのジンジンする強烈なシビレである。それが左脚にも影響を与えている。薬とリハビリによって少しずつでも快方に向かえばいいのだが、こればかりは逆に段階的に強くなって時々気が折れそうになる。強い日は気力と体力がこのシビレに吸い取られていくような気分になる。そしてひどく疲れる。こういう状態ではインスピレーションとエネルギーの集中を要する文章などはなかなか書けないものだ。シビレの専門医にも幾人か診て戴いたが、結果は同じであった。〝シビレとはつき合っていくしかありませんねえ。そう覚悟して下さい〟・・・・・覚悟しろと言われてもねえ・・・・・。
 志木に帰って最初に行った病院が「いしもと脳神経外科」。退院後二ヶ月程してのことである。いしもと先生曰く。
〝お酒は飲んでないでしょうねえ〟
〝いや、退院の日からやってますよ〟
〝ダメじゃないですか、退院の時に医師から言われませんでしたか?発症から1年はダメだって〟
〝いや、一度も言われたことないなあ・・・・・〟
〝どうしてかなあ・・・・・〟と私の顔をまじまじと眺めながらポツリ・・・・・
〝言ってもムダだ、と思ったのかな?・・・・・〟
そういえば、リハビリ入院していた鹿教湯病院の主治医の先生は人間的で心の広いすばらしい方だった。
〝1年といえばもうすぐじゃないですか〟の私の言葉に
〝見切り発車したんだから秋位までは控え目にしましょうね〟
だから今は控え目だ。

発症後半年以後はリハビリの効果は上がらない、というのが定説になっているようだが、多くの体験者が語るところによれば、それは違う。脚に装具をつけながらのことだが、私も500メートル、1000メートルと歩けるようになったのは半年過ぎてからである。
リハビリのセラピスト達のおかげで歩行や手の動きなど少しずつ回復しているが諦めずに今できることに少しずつ挑戦してやがてブログが続けられていた時のように自然が与えてくれる無限のインスピレーションに充たされながら文を書き続けたいと望んでいる。

美しいものが沢山あるというのに写真も今は自分の手で撮れないのが無念だ。レンズに納めたい感動的な草花や自然界の光景に出会うと、思うように動かない身体がもどかしい。
焦らないように、苛立たないように、一歩ずつ、半歩ずつ、薄皮を一枚一枚はぐような気持で・・・・・と多くの人に教えられ、諭された。

今後しばらくは病床日誌のような形で患者としてあるいは病室で思い感じたことなどを書き記していこうと思う。

2018年2月19日月曜日

コラム 129 < 空の色の不思議 >  


このところ快晴の日が続いて、空は爽快な青、夕方ともなれば西の空が橙色から徐々にブルーとピンクのパステルカラーの層へと変化し、やがて静かに日が暮れてゆく。
山小屋の西の窓から眺めるこうした光景は、私に深遠な感情を抱かせる。 


晴れた日に空が青いのは当り前、夕焼だってだいたい橙色に決まっている。太陽が山の向こうに沈み切って黒い峰々の背景がパステルカラーになるのもごく当り前、特別驚くようなことではない、と多くの人が思っている。
だが、快晴だとどうして空は青いのか?
陽が沈むと西の空はなぜあれ程に輝くのか?
今日のことだから、その理由を科学的に説明することは出来るに違いない。しかし、なぜ?なぜ?なぜ?と繰り返して第一原因にまで近づくと、なぜ宇宙にそんな原理が存在するのかとなって、説明が困難になってしまう。そこに私はことの不思議を感じ、深遠な思いにかられるのである。 

雪は白いとばかり思っているが、そうと決まったものでもない。もしも雪が白ではなく、真っ赤だったり、真っ青だったりしたら、どうなるだろう・・・・・。透明な雨が結晶化して雪になれば白くなるのは当り前だ(と思っている)が、そもそもなぜ雨は透明なのか?血のような赤であっても何ら不思議はないし、青いペンキを溶かしたようなものであってもいいし、墨のような黒色であってもおかしくはない。これまでにも黒い雨というものが実際あったのだし・・・・・。 

こんなことを想像していると、この世界は実に美しい原理のもとにある、と思われてくる。宇宙は、地球はきっとこの原理のもとにある・・・・・してみれば我々の心の原理もそれに違わぬものであるに違いない――刻々と変わるこの夕空を眺めているとそのように思われてくる。

2018年2月12日月曜日

コラム 128 < 人の道 その⑥ ―あるべきように― >  

あるべきことを あるべきように
やるべきことを やるべきように
それが 人としての道 

言葉で表現すれば、何と簡単なことだろう
判っていることを実践することが、なぜこんなにもむずかしいのだろう。

2018年2月5日月曜日

コラム 127 < 氷柱(つらら) > ――屋根断熱が失わしめた厳冬の美―― 

つららの先から
雫が落ちる
一瞬キラリと光って
ポタリと落ちた。
つららとの別れを
惜しむかのように・・・・・
はかなき無言の別れ。 

















一時間程経って
ふと見ると
つららの長さが数センチ
短くなっている。
そうか、あれはつららの分身
つららの涙だったのだ。
うららかな陽気に
つららの心もゆるんだのだ。 

夜半には再び厳しい寒気がやってくる
涙をためて、たくましく育つために

2018年1月29日月曜日

コラム 126 < 馬鹿にするな! >  

馬鹿とは馬や鹿に対して失礼であろうと思っていた。あれ程人なつっこく、澄んだきれいな眼をしている動物は他にあまり見ない。彼らは人の心がよく判るという。だから余計にそう思うのだ。 

愚かなことを馬鹿と書くのはなぜなのか調べてみた。私と同様に思っている人がいるかもしれないと思い、ここにその調査結果を記す。 

・馬鹿と鋏は使いよう
・馬鹿に付ける薬はない
・馬鹿は死ななきゃ治らない
これらが英語にまでなっている。
・No medicine can cure folly.  <どんな薬もばかは治せない>
・馬鹿の一つ覚え
・He that knows little of ten repeats it.
<わずかな知識しかない者は、それを何度でも繰り返し言う>
                             『成語大辞苑』より 

馬と鹿もさんざんである。
これでは馬鹿もたまったものではない。
しかし調べてみて判った。私は彼らの名誉のために言う。
馬鹿はこっちの方であった。 

〝馬鹿〟あるいは〝莫迦〟とはサンスクリット語(梵語)のbaka(痴)又はmoha(無知)から来ている、というのである。『新潮 現代国語辞典』は大きな辞典でもないのに、この馬鹿についての説明がいやに詳しい。
それにしてもわざわざ馬と鹿の字を当てることもないだろうと思われるが、サンスクリット音訳即ち当て字であることが判っただけでも収穫であった。
他『漢語林』には上記解釈の他、馬鹿(バロク)と読ませて『史記』(秦始皇紀)の一節を紹介している。さらに興味をもたれる方はそちらもお調べになってみるがいい。私にはそれ程の興味は無いからこれで終わりにする。

2018年1月22日月曜日

コラム 125 < 太陽が落ちた >  

2002年1月16日のことである。
夕刻5時40分に私は次のように書き記している。 

太陽が落ちた・・・・・とはいっても、夕陽が沈んだという意味ではない。
今日の西の空は不気味だった。
暗紫色と黒色の雲に沈んだ太陽の余光が蛍光色を伴って白々と混じり、すぐさま暗黒の世界を想起させた。 

それはまるで太陽が落ちた、というにふさわしかった。普段の夕闇なら多少の緋色を残して明日への希望を予感させるが、今日のそれは違っていた。もう二度と登らぬのではないかと思われた。
落ちた陽の続く姿を思い重ねて、改めて外を見た。
生き物はただ一つ無く、樹々も草花も成長を止め、やがて一木一草無い闇の世界と化すだろう。人の気配も完璧に消えていた。 

不気味だった・・・・・そして我々が日々恵まれていたあの輝かしい、生気に満ちた世界がどれほどつややかでうるわしいものであったかと胸締めつけられる思いであった。まさしく天からの恵みであり、贈り物であった。 

15年以上前の忘れられない記憶である。