2019年9月23日月曜日


コラム 131  食について/普通であることの大いなる惠み > 

私はすでに72才になった。中には豪傑もいて、70才を過ぎても酒豪・大食漢という人もいる。私はその辺まあ普通で、うまいものをもりもり食べたい、うまい酒をぐいぐい飲みたいという年令を疾うに越えている。脳出血を起こして左半身の自由がきかなくなってからというもの、余計にそうなった。
それだからこそというべきか、少量を、器から配膳に至るまで〝美しく食べたい〟という思いが以前よりさらに強くなった。幸いなことに伴侶が美的センスに恵まれているから救われているが、一方残念なことに、こちらの左手の自由がきかないから美しい食べ方ができない。極力左手を参加させるように努め、朝食後の食器洗いなどはリハビリを兼ねてできる範囲で自らやっているが、手や指が細やかに動くなどということは奇跡的な惠みであることを教えられている。普通であることすべてが大いなる恵みであることを知らされただけでも、健康そのもので歩んできたかのような私にはこの世に生まれ出た人生の甲斐があったと考えなければなるまい。苦しんでいる人が身近にこれ程多くいることにも気付かされた。