コラム401 <私の文章について>
私の文章は十中八九、直感・インスピレーションによっている。私のこれまで書いた文章はブログ以外にも本や雑誌、新聞等を合わせると決して少なくない。しかし研究者や学者即ち専門家や哲学者や思想家のように、考えつめて書いたような、論理的な文章は殆(ほとん)ど無いと云っていい。
なぜそうかと言えば、学者や研究者の書いた文に興趣(きょうしゅ)を感じたことがあまり無いということによる。あるいはいつ頃からか直感・インスピレーションの中にこそ自分らしさが表れると思うようになったからである。
専門的な知識や研究の成果を扱う一群の人達は当然研究した幅の広さや知識の豊富さを披歴(ひれき)するものが多く、感心することもあるが、私はといえば、そういう方向に興味を感じない性格上の問題がある。
私が読んできた本の中に哲学書や思想書よりはるかに宗教書や信仰書、民族学その他茶の湯を通じての日本人の道の心得や、実際に苦難の中を生きた人間の体験談や心の記録などが多いのはそのためであろうと思われる。
器の美への興味なども別次元のことのように思われるが、あるいは直感やインスピレーションの範疇(はんちゅう)に入るのかもしれない。
大学助手時代、早々に自分は学者や研究者には向かないことを悟った。自然に、心の趣(おもむ)くままに、自由勝手に、我がままに生きてきたと、今自分が歩んできた人生を振り返ってそう思う。