2024年11月4日月曜日

コラム398 <ああせいこうせいと、云うばかりなり厚生省> 


 介護保険を利用するようになってから、もう6年になる。介護の世界で働く人達の不自由さと窮屈さを見たり聞いたりするようになって、改めなければならない点が数多くある、と思い始めた。

 それはケアマネージャーやヘルパーさん達の処遇改善の問題ばかりではない。


 ・行った先でトイレを借りてはいけない。(そんなもの、いつ急に催すかわからないではないか!)

 ・お茶やお菓子を出されても頂いてはならない。勿論、感謝の気持のものであっても、

  もらい物をしてはならない。

 ・たまには一緒に食事を・・・などということなど以(もっ)ての外。  (まるで教師の家庭訪問のようだな!)

 ・頼まれた買物は一旦その家に着いてから、改めて行く。(来る途中にスーパーマーケットやその他の店があるというのに、この無駄加減、時間の浪費!)

 ・少し時間が余ったからと汚れに気付いたガラス窓を拭くのもダメ。

 ・こうしたことにまつわる人間関係のもつれ。


等々・・・それと、ケアマネージャーと看護師さんの月一回の訪問の義務付けは少なくとも私には無意味・不要である。必要な人のところにだけ行けばいい。それでなくともケアマネージャーは多忙を極めているのだから・・・。

 しまりのない状態にならないように、一定の規則や基準を示すまではいいが、自由の余地も残しておかないと、やる方は窮屈でたまらない。時間が余ったからとやってやりたいこともあるのに、やれないのだから・・・気の利(き)く人にとっては特にそうだ。


 この窮屈な世界に嫌気がさして辞(や)めたヘルパーさんは沢山いるに違いない。私自身も幾人か知っている。それを国も国民の大方も、報酬の少なさが定着率の悪さの原因だとばかり思っている。

 そういう人もいるだろうが、元々介護の仕事につこうとする人は生活する上で困難な事情をかかえている人を手助けしたいと思って、この領域の職につく人が多いと私は感じる。人間関係他何かと難しい問題を抱(かか)えながらも、少ない報酬でがんばっている人が多いと私は思う。

 それをどういう人々がどういう形で審議し、出されているものやら厚生省からの細々とした指示・規則の中には、余計かつ不必要かつ異常と思われることが随分ある。

 最大の問題は審議委員の中に現場で実際に働いている人間が不在であることである。現場から離れた高位(少なくとも彼らはそう思っている)の人間達でものごとが決定され指示されていく、という点にある。だから現場の経験と生の声が反映されず、活かされない結果となるのである。

 そこで私が思い付いたのが、川柳くずれの上記タイトルである。


 〝ああせいこうせいと、云うばかりなり厚生省〟