PART Ⅰ
ビル エバンスが流れる。
スピーカーの前で、ハエが踊り始めた。
〝おい・・・・・どこからやってきたんだい?・・・・・〟
〝こんな寒い冬に何を食べて生きているんだい?〟
おぼつかない足であっちにちょこちょこ、こっちにちょこちょこ。静かなソロ・パートでは足をスッと止める・・・・・。やがてワルツ風のリズムにのってツツツ―、ツツツ―、ツツツ―
ツ―
・・・・・。コードのところでころんで宙返り。一月二十五日夕刻のハエの刹那。
・・・・・。コードのところでころんで宙返り。一月二十五日夕刻のハエの刹那。
もうよたよただ。
リンゴのかけらを置いた。
ひっくり返って起き上がり、しがみついてスースー吸っている。
PART Ⅱ
一匹のハエと親しくなった。
この寒い冬に食べ物とてない室内で生きのびていたのである。
スピーカーの前でジャズに合わせて踊っていたあのハエが、あれから数日経った今日もひょっこり姿を現した。やはりジャズのかかる同じスピーカーの前である。あの日リンゴを吸って少しは元気を取り戻したかに見えたが、だいぶ弱って羽ばたくことさえ出来ないのだから、このまわりにじっとしていたのだろう。
今日もリンゴを置いた。よほどノドがかわいているのだろう、それに果汁の甘さがいいのか吸いついたまま、じっとしている。
しばらくして、リンゴだけでは栄養のバランスが悪いかとチーズをひとかけら置いた。しかし以外なことにこちらは全く素通りだ。もう体が水分をのみ欲しているのだろう。
暖炉の前で読書をして、小一時間も経ったろうか・・・・・
姿が見当たらない。あのハエ君はどこに行ってしまったのだろう・・・・・暖炉の熱とリンゴの水分で少しは羽ばたけたか・・・・・。
しかし姿はどこにも見えなかった。
見つけた時には6本の足を上にしてひっくり返っていた。死んでいるように見えた。指を近づけても動かない・・・・・あぁ、やはり・・・・・。
と、指先でツンツンつつくとかすかに足を動かした。腹がいっぱいになってジャズを聴いているうちにウトウト眠ったのだな・・・・・と私は思った。それから6本の足をしきりに動かして、私の指にしがみついてきた。それからというもの、手の甲を行ったり来たりして離れない。我々はすっかり親しい仲になっていた。むこうも、こちらも・・・・・そんな気になっていた。
また、しばらく時が流れた。
〝ハエ君~ン どこだい?〟
と言ったら、ブルルルル~と小さな羽音がした。