2017年1月9日月曜日

コラム 71  人の道 その④ ―人間とつくる―  

人間が出来ていること程、この世を快くするものはない。 

昨夜降り積った雪道を除雪車が通る。
〝あぁ大変ですねえ、御苦労さんです〟
という人もいれば
〝何でもっと早く来ねえんだよ!〟
と怒鳴る者もいるという。
坂の多い山中の、しかも管理事務所に備えられた小型除雪車二台で500区画以上を行うのだから、計画順番もあるだろう。世には身勝手な者がいるものだ。 


        ちょっとした言葉
        ちょっとした目つき
        ちょっとした微笑
        ちょっとした気使い
              
           ・
           ・
すべてがちょっとしたしたことだが、その影響は大きい。

ことばに、目に、態度にトゲのある人間は他人にはすぐに判っても、本人には判らないものらしい。指摘してくれる人がいたとしても聞く耳を持たない。耳はあっても心が無いからだ。
ちょっとしたことがなぜ大きな影響をもたらすのか。
それはその小さな事柄に人間の出来具合という重いものが乗って出てくるからだ。
人間が出来ているとは、心が出来ているということだ。どこでどう道を間違えたのか、いつの頃からかこの事がどれ程なおざりにされてきたことだろう。

人間が出来ているとはいかなることなのか、人間をつくるとはいかなる実践をいうのであるか。人間が加速度的に人間離れしていく中で、今我々は一人一人真剣にこの問題と向き合わなければならないと思う。 人間が出来ているとは 

 ・学業成績に優れていることではない
 ・金儲けの術に長じていることでもない
 ・人を貶めてこの世の勝者となることでもない
 ・名を成し、えらくなることでもない 

人の道を説いた賢者がこれまでどれほど多く存在したことだろう。この世に生を受けた意味を問えば、命ある限りこれらを播くことは、人間としての務めであると思う。 

人間として出来ていない人間が増えれば増える程、社会は不快を増していくということを、幼い時から学ぶことが必要だ。快い社会とするためには何よりも各自人間をつくることが必要だ。これは教育の基本である。このことを教え学ぶ機会が今、どこにあるのだろう。
人間が崩れていくことへの限りない不安が、ひたひたと忍び寄ってくる。