2021年8月23日月曜日


 コラム231 <わからないことだらけ>

  デッキに椅子を出し、腰掛けていたら、腕に蝉が止まった。トレーナーの袖を伝って上へ上へと登っていく。小型の夏蝉ではない。油蝉でも勿論ない。羽根が透明なカナカナ蝉に似ているが、それをひとまわり、小さくしたような形をしている。目が合ったので聞いてみた。
 〝君は何という蝉だい?〟
 〝ジィッ〟と答えた。
 ちょっと目を離しているうちに姿が見えなくなった。襟(えり)のうしろあたりで〝ジジッ、ジジッ〟と最後の鳴き声をあげた。〝ジジイ、ジジイ〟と言っているんじゃないだろうな、もうだいぶ弱っているようだ。お互いに……。 

 疑問1 蝉は土中で何年もいるという。何を養分にして何年も生きているのだろう?

 疑問2 蝉は土中に居ながらどのように梅雨明けを知るんだろう?
 疑問3 梅雨が明けた途端に一斉(せい)に鳴き始める。あちらでも、こちらでも、離れたむこうの方でも…… 知らせ合うといっても無線機がある訳でなし、どのような手段で伝え合うのだろう。

  わからないこと、知らないことだらけだ。蝉に聞いてみたいものだと思った。

 白樺の幹に帰してやった。最後の力をふり絞りながら上へ上へと登っていった。天国をめざすかのように……。

2021年8月16日月曜日

 

コラム230 <『近代日本150年』(岩波新書)の読後感>

  山中で上記の本を読んで、読後深い虚無感に襲われた。万物の霊長と言われる人類は天国と地獄のどちらを多く創り出してきたのか?と思われたからである。

  早朝デッキでコールマンの椅子に腰かけ、朝陽を浴びながら心を澄ませば、渓流の音が聞こえる。野鳥の囀(さえず)りが聞こえる。樹間を吹き抜けるかすかな風の音が聞こえる。梅雨が明けて一斉(せい)に鳴き始めた蝉の声が聞こえる。静かな朝だ。一角を白い山法師の花が飾っている豊かな樹々の緑に包まれながら、自然と一体であることを忘れた人類のことを思った。

  私の故郷秋田は摂氏34度、本州最北端の青森ではさらに36度だという。秋田に住んでいる姉は〝地球がすっかりおがしくなってしまったぁ……〟と秋田訛りの言葉で言った。いかなる意味でも人類は地球を傷つけ過ぎた。経済発展のために、軍事・戦争のために、そして今、エネルギー革命の最終章原発のために、その元を繰っていけば結局カネのために大いなる自然と素朴な民衆を犠牲にし続けてきた歴史に突き当たる。巨額の富を手中にした個人・組織・国家……それで得たものは平和であったか?人類にとっての幸福であったか?経済格差社会はこれからも益々深刻度を増していくだろう。その先に待ち受けるものは決して平和ではないだろう。

  人類にとって幸福、平和とはいかなるものによって成立していくのか。巨額の富を手にしながら、幸福とはとてもいえないような人にあなたはこれまで出会ったことはなかったか?かえって幸福から遠ざかった人々、平和・平安から遠ざかった人々は数多くいる。
 知足:程々で足るを知るところにこそ平和・平安があるという古(いにしえ)からの真理をどうして人類は悟らないのだろう。不知足とは足ることを知らず、欲が欲を呼んで欲の蟻地獄にあがいても、もう抜け出せない、はい出せない、それがいかに平和に遠いことであったかを上記の本は教えてくれる。決して楽しい本ではないが、皆読まれたらいいと思った。



2021年8月9日月曜日

 コラム229 <自慢について>

 「自慢」というものはどのようなものであっても快いものではない。過ぎれば時に醜くさえある。自慢している本人はいい気分で書いたり、語ったりしているのだろうが、読み、聞かせられる側には決して心地よく響かない。
 真に偉い人というのは自慢ということはしないものだろうし、自慢したがり屋を出来た人間だと感じる人もいないだろう。しかし残念ながら人間は多く自慢したがるものである。聞いていてなぜそれを快く感じないのだろう。それは己の内にある慢心をさらに着飾って他人に見せようとするからであろうと思う。そんな自慢話より、もっと真に迫った人間の話が聞きたいし、私は住宅を業とする人間だから住宅や生活の美についてもっと肉迫した話を聞きたいものだと思う。
 
「見せびらかす」という言葉がある。大げさ、上から目線、偉(えら)ぶる、高飛車、といった言葉も同じ範中に入る言葉であろう。「自慢」とは自分のことや自分に関係のあることを他人に誇ること(『辞林
21』)とある。これだけなら印象のいいことも悪いこともあるだろう。だが自慢たらしいとなると真実味が無い分、印象を悪くする。少なくともこれまでの日本人の美徳には無かったことだ。74才まで生きてきて、恥ずかしながら私も随分自慢しながら生きてきたように思う。これからの人生は極力自慢無きようありのままを心掛けて生きていこうと思う。人間の浅はかさなど、どうあがいてもすぐ透けて見えるものである。毎日山中で眺めている野の花や樹々たちの素朴さに学んで日本人の美徳というものをもう一度見つめ直してみたいものだと思う。人生をかけて地味に、奥床しく、いぶし銀のような味わいのある存在になりたいものだ。これもまた夢物語か。

2021年8月2日月曜日

 コラム228 <几帳面なキジ鳩>

 数羽のキジ鳩あり。中に一羽几帳面な鳩あり。
 几帳面とはエサ台のエサを通常は細いくちばしで飛び散らかしながらつっつき食べるのだが、一羽のみは端から横一列ずつきれいについばみ、エサ台よりとりこぼすとすぐにそれをついばんで、ものの美事に整然と食べる。
 キジ鳩に親の躾などあろうはずもないから、これは生来の性格という外ないが、それは見ていて笑いが出るほどだ。美しく食したいものだと、常々心掛けてきた私も、思わず〝いやあ、感心だねえ!〟と声をかける。この鳩は数年前からエサ台に来ているのだけれど、驚くことなかれ最近はこの鳩の連れ合いだろうか、二羽揃って整然と食べている。夫の方が奥方から〝あなた、食べ散らかさずにもっとゆっくり、きれいに食べなさい〟とでも言われたものやら、明らかに一羽が他方に影響を与えている。おもしろし、おもしろし。

 PS:(漢文まじりの本を読んだ影響で私の文もそんな調子になった。影響とは知らず知らずの内に及ぶものなりと知る。)



2021年7月26日月曜日

 コラム227 <脳出血から3年4ヵ月経った者の心境 その⑤>

  病院での入院リハビリは現行の法律で最大180日までと定められている。それ以後はリハビリの必要性の有無にかかわらず、実質、社会に放り出される恰好(かっこう)となるから、介護保険内のリハビリが中心とならざるを得ない。
 しかし私の経験からいうと、これによって効果の上がるリハビリは期待できないと言っていい。他には自主トレーニングということになるが、これも継続的に出来る人となると、気力、体力、技法上かなり限られるというのが実状だ。若い時分にスポーツに明け暮れた私でさえ、気力を保持しながら自主トレに一人で取り組み続けるのは至難なことだ。
 
 180日までという制約は小泉首相時代に反対を押し切って成立した法律らしい。そもそもなぜ180日なのか———これについては6ヵ月以降はリハビリを続けても大幅な成果は得られないという定説が根拠になっているようだ。だがこの定説はもう古い。一般的にはそういうことが言えるのだろうが、それに違(たが)う体験者の本は沢山出ているし、私自身だって歩くのに大きな改善を見たのは6ヵ月を超えてからである。必要性の有無はそれぞれによって違うが私の経験からいうとこれが9ヶ月までであればだいぶ違ってくるものと思われる。この問題はリハビリ治療における今後の大きな課題である。  

 最近はさすがに左半身マヒの完全なる恢復は諦めつつ、一方では諦めないで淡々と日々のトレーニングを重ねていくのみである、と腹を決めている。〝余分なことを考えず〟とは気力を軸とした自分との勝負であるが、それがどこまで恢復につながるものか見ていてほしい。今はこれが生きるということのひとつの意味であるとさえ思われる。
 
 添うて生きてくれる人がいるということが何よりも大きな支えになっている反面、自分は助けを受けるばかりで、その人の支えに全くなれないことが辛い。病の辛さは身体上の苦しみもさることながら、第一には他人の助けになれないこの精神的辛さにあるのではないかと思う。この問題とどう折り合いをつけて乗り越えていけるかは私に課せられた精神上の試練である。
 3年以上ほぼ同じ薬を飲み続けても症状が一向に改善されないこと、名医野地先生にも有効な手段がなさそうなこと、このまま大量の薬を飲み続けてはこの体が薬漬けになってしまうようで私の望むところでは全くない。薬を極力減らしつつ今は東洋医学の漢方薬・鍼灸(しんきゅう)マッサージをプラスして取り組んでいる。



2021年7月19日月曜日

 

コラム226 <脳出血から3年4ヵ月経った者の心境 その④>

  小田急線本厚木にある<のじ脳神経外科・しびれクリニック>の野地先生は最後の頼みの綱として遠くからも訪れる人が多いと聞く。住まい塾事務局の川崎さんが見つけて推薦してくれたのである。すぐ予約の電話をすればよかったのだが、住まい塾から片道2時間と少々遠いし、冬期の入院リハビリの期日が迫っていたこともあって、数ヵ月後に予約の電話を入れた時には予約待ち1300人と言われた。〝ヘェ~~!〟だがひたすら待ち続けて7ヵ月以上はかかったろうか。予約できる順番がやってきた。
 
 初診は午後の時間であったから連れ合いと一緒に日帰りで行った。新宿・本厚木間はロマンスカーを利用したのでその分楽であったが、志木から池袋、新宿を通っていくのがなかなか大変だ。各駅にエレベーターがあるにはあるが、さがすのに手間取り歩く距離は大して変わらない。駅からクリニックまでは私の足で杖をつきながらも十分かからぬ程だが、日帰りで往復してヘトヘトになった。
 野地先生は一目で名医であると確信した。患者に寄り添う姿勢と気持が表情に表れていたからである。二回目からはスタッフのアドバイスもあり、前日に本厚木のステーションホテルに泊って、午前診察、午後には早目に志木に帰ることにした。これで往復のラッシュが避けられる。本厚木のステーションホテルはビジネスホテルだが、机・ソファなどが備えられているだけで余計なものがなく内装もこざっぱりしていて
 シングルルームの割に広く、悪くなかった。シングルルームを2室取ったのはコロナ対策のためだったが、夜中私はふらついて転倒し、妙な格好で転んだものだから家具の間に足がはさまり、起き上がれず、床にそのまま
20分程横になっていた。床がパンチカーペットだったから幸いしたが、横になりながら立ち上がる方法に頭をめぐらせ、やっとベッドに横になれたのはそれから30分程してからのことである。デスクには電話もあるから隣室にもフロントにも通じることはできるのだが、何せ立ち上がれないのだからそこまでたどりつけない。それに呼べたとしても部屋のドアに内カギがかかっている。こちらがドアを開けなければ入れない。そんな経験を生かして第三回目は自分の部屋の内カギはせず、少し開いた状態にして休んだ。

 色んなことが起きては経験から学び、第4回目はキングサイズのダブルベッドの部屋を取り(このホテルにはツインルームが無い)、端と端に寝た。最初からそうすればよかったようなものだが、馴染みのないせいか私はダブルベッドで眠るのが好きではない。が結果的には洗面も浴室もシングルルームより広く充実していてひとつに勉強なった。

2021年7月12日月曜日

コラム225 <脳出血から3年4ヵ月経った者の心境 その③>

  次に期待して訪れたのが東京のとあるシビレ専門のクリニックである。シビレはシビレでも脳から来るシビレとうたってあったから期待したのである。ここでの担当医は女医さんであった。

 〝はっきり申し上げてこれは治りませんから……一発で亡くなる方もいるのですから幸運だったと思って諦めてつき合っていって下さい。〟
       あまりのドライさにポカンと開いた口がしばらく塞(ふさ)がらなかった(今は閉じている)。この先生は治らないものは治らないとはっきり言った方がかえって親切というものだ、と固く信じているようだった。そう信じているというのならそれはそれでいいのだが、あまりにシャーシャーとした言いっぷりに、言われたこちらは何だか〝治りませんから……〟と言われるために志木からわざわざ来たような気分だった。病が判って人間の苦しみが判らぬ純粋医師を見たような思いだった。苦しんでいる人間に寄り添った多少のアドバイス位あってよさそうなものだが、〝治りませんから、つき合っていって下さい〟だけじゃ混んだ電車を乗り継いでやって来た甲斐が無いというものだ。それとももう一度行って〝そのシャーシャーとした言いっぷりは、もう治りませんから……〟とでもいってやろうかなあ。