コラム454 <貧乏であることと、貧乏臭いことと>
真に志なり、フィーリングが合って親しくなっていくのはとてもいいことだが、そんなことでもないのに親し気にふるまうのはかえって印象を悪くする。
私はスタッフによく言う。
〝貧乏はいいが、貧乏臭いのは住宅の設計者として不合格だ〟
と。豊かな住生活を求めての仕事人が、貧乏臭くてどうする。
学生時代から私は仲間達によく言われたものだ。
〝タカハシは金が無いのにいつも金のあるような顔をしているよ〟
と。
別に意気がっていた訳ではない。自然にしてそうなのである。
大学が新宿区神楽坂にあったから、バーなどにもちょくちょく行った。皆がサントリーレッド、よくて角やオールドを頼むのに、私はブランデーを頼んだ。どうも私の口にはウイスキーが合わず、ブランデーの方が馴染みよかったからだ。
いまだにそうだが割り勘というのも性に合わない。どうしてか理由は判らない。こんなことがそのような印象を与えたのかもしれない。私はこう言われてきた自分を、今どう思うかと問われたらこう答えるだろう。
〝それが私の住宅設計者としての最大の素質である〟
と。
貧乏なんだから、貧乏臭くなるのは当たり前じゃないか、という人がいるが、それは違う。貧乏であることと貧乏臭いのとでは訳が違う。金持ちにだって貧乏臭いやつはいくらでもいる。それは金以外の豊かさを、内にどれだけ持っているかによっている、と私は思う。金が無いなら、その他の豊かさをいっぱい持とうよ!人の苦しみを思いやる心もそのひとつであるし、音楽への関心、美へのこだわり、古美術・骨董を含めたところの生活の器へのこだわり、灯りへの関心、精神や志まで含めたら豊かさの素は限りなくある。
これからでも遅くはないよ。そのためにこそ生きているようなものだから・・・。