2023年7月17日月曜日

コラム330 <白井晟一の想い出 ⑩>        ───竹中工務店の設計部員とのやり取り───


 他のプロジェクトの時はそんなことはなかったから、あれはノアビルの時であったろうと思う。

 ノアビルは実は当初竹中工務店が直接設計・施工で請け負った建物であったが、クライアントがその設計が気に入らなかったのであろう。途中で設計は白井晟一に頼みたいと言い出して急遽設計者が変更となった建築であった。

 事の子細については私は知らないが、竹中工務店の設計部員が数人、私の居た白井晟一の自宅の付属アトリエ(その頃私は高山アトリエからこちらに移っていた)に詰めて、図面を描いていた時期があった。ノアビルの完成が1974年だから私が研究所に入ってまだ間もない頃のことである。工期が限られていて早く図面を仕上げなければならないといった事情があったのかもしれない。ランドマーク状の建築として白井晟一の作品ということになっているが、テナントビルという性格上内部に関しては、あまり深い関与はされなかったように思う。


 竹中工務店のスタッフは日曜・祝祭日も無い白井研究所の生活に多少不満があったのであろう。ある時冗談まじりに白井晟一に向かって、〝労働基準法では週休二日ってことに・・・〟と言いかけた途端の白井晟一の反応がおもしろかった。


  〝労働?・・・君にとって建築の設計は労働なのかい?リクリエーションだよ、リクリエーション!〟


ついでに


   〝画家や彫刻家が週休二日制などと言い始めたらどうなるかね、そもそも建築の設計は週に二日も休まなきゃつとまらない仕事かい?〟

  

 竹中の所員達は1/4程の苦笑いを浮かべながら、呆気にとられた顔で聞いていた。