2023年7月10日月曜日

 コラム329 <白井晟一の想い出 ⑨>         ───税務署からの電話───


  〝君達は建築家という職業は建築の専門書だけで

   成り立っていると思っているのかね⁉〟


 白井晟一の書籍には建築関係の本以上に美術書などの豪華本が多かったに違いない。ブラジリアンローズの扉の中にあったから詳しくは知らないが、一度何かの豪華本を見せてくれたことがあった。


  〝手を洗ってから見ろよ〟


 ガンダーラ彫刻などもしばしば目にした。美術品も多かった。そうしたものを身のまわりに置いて、自分の感覚を磨き上げていたのだろう。そのすべてが建築家白井晟一に結びついていた。思想書も多かった。しかし、税務署としてはそうした類のものは経費としては認められない、ということのようだった。それに対して上記の言葉となったのだ。私は白井晟一の主張に共感しながら聞いていた。


  〝日本て、寂しい国だねえ・・・〟


と最後に一言付け加えたかったに違いない。

  

  〝君といくら話しても無駄だ!〟

 

溜息まじりのこの言葉で税務署との電話は終わった。





 東京港区の神谷町交差点に建ったランドマーク的建築ノアビルのファサードが一部勝手に造り変えられた時も、〝建築に著作権はないのか〟と主張し、新聞でも取り上げられたが、新聞社も関心が深かったとは言えなかった。この時も白井晟一は寂しい思いをしたに違いない。勿論ごく一部の、という意味だけれど。建築がもし芸術、もしくは美術のひとつと考えられるなら、自分の所有物とはいえ、勝手に変更は加えられないのが原則だ。建築と美の関りについて関心が極めて薄い国、日本。新聞などでまれに建築が取り上げられる時でも、設計した建築家の名は殆ど記されることがない。記者になぜかと問うたことがあるが、〝偏って宣伝になりかねない、というのが新聞社の通念だ〟と云う。何という寂しい感覚なのだろう。

 73才でこの世を去った白井晟一は「孤高の建築家」などと呼ばれたりしたが、こういう面での寂しさを抱きながら生涯を終えた人であったことに違いはないだろう。