コラム311 <太宰治の『人間失格』を50年振りに再読す──その①>
大学に入りたての頃に読んだきり、書棚に眠っていたのを取り出し、山に持参した。10日余りのショートステイのため「老健」の部屋に持ち込んで読み始めた。
以前読んだ時は、なんでこれが注目を浴びてベストセラーになっているのか、とそんな程度にしか思わなかった。それは当時の私には、人間失格などという自覚は微塵(みじん)もなかったからに違いない。
高校時代はスポーツに明け暮れ、県の大会で優勝し、東北六県の大会でも優勝し、インターハイ、国体に出たりしてアドレナリン全開のような時代を生きていたから、それから数年後のこと、〝人間失格〟などという感覚は、自分には縁遠いものであったのだろう。
書棚でどれ程陽に焼かれたものか、ページを捲(めく)ると周囲1センチ程が茶褐色に変色している。
奥付(おくづけ)を見ると
昭和25年10月20日 初版発行
42年 9月20日 54版発行
43年12月30日 改版3版発行
『人間失格・桜桃』(角川文庫)
とある。
75才になった今読み返してみると、当時の印象とはまるで違う。
第一の手記の一節に次のようにある。
〝自分は空腹ということを知りませんでした。
いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、
自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。
ヘンな言い方ですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。〟
私にもそういう傾向があって事実、断食は何日位続けられるものかと4日間の完全断食を試みたことがあります。通常の生活をしながらでしたから、3日目までは大した影響はなく、4日目になってさすが冷や汗のようなものが出て、巣鴨の駅で初めて水を飲んだ記憶があります。25才頃のことではなかったか、あんなことをしたのも、この本の影響ではなかったかと、今にして思われます。
時代の影響ということも大きかったに違いなく、しかしこれ程までに多く読まれたのは何故であったか、現在もロングセラーを続けているというのも、50年振りに再読してみて初めてうなづけるものがあります。 私は評論家でも解説者でもありませんから、つべこべ書くことはよしますが、やはり〝人間失格〟という自覚を多少でも持っているなら、という条件付きですが、感じるところが多い本に違いはありません。学生時代にどんな感想をもって読んだかも思い出せませんが、病の後遺症に苦しみながら、人間失格を身に沁みて感じ続けた五年間でしたから、若い時分とは全く違った感想をもって読んだことは確かなことです。そして、これが太宰治38才か39才の作であることに驚くのです。(スマホだのパソコンだのをいじくりまわしている時代には全く無理というものです。)その感性は今の私には痛々しくさえ感じられます。それを読んでいると、老成とも早成ともつかぬ妙な印象を持ちます。しかもどこかで自分と重なっている───いや自分ばかりでなく、人間という人間誰しもが重なっている───それを若くして自覚されたところに、早成とも老成ともつかぬ痛々しさを感じさせられるのです。書き終えた同年6月13日深更、山崎富栄と共に玉川上水に入水し、世を去ったのでした。