2023年3月13日月曜日

 コラム312 <太宰治の『人間失格』を50年振りに再読す──その②> 

 この本の本文はともかく、感慨をもって読ませられたのは末尾に書かれている解説である。因みにそのタイトルと解説者の顔触れを掲げておこう。

   ①太宰治──人と文学:檀一雄

   ②作品解説───── :磯田光一

   ③滅亡の民───── :河盛好蔵

 ③の最後には(昭和23年9月号『改造』)と記されている。

 昭和23年といえば戦争の余韻冷めやらぬ頃で、私が生まれた年の翌年である。この解説と解説者の顔触れを見ると、錚々(そうそう)たるメンバーが顔を連ねていて、本が幸せであった時代を思わせる。戦後まもなくのこの頃の、文学に対するほとばしるような熱情と期待、信頼。同時に、それどころではなかったはずの戦後復興期のエネルギーが感じられてうらやましくさえ思われるのである。命を懸けて懸命に生き、書いている時代であった。それにひきかえ、我々が生きているこの物質的に豊かになり、精神が貧困になった時代の寂しさを思わせられるのである。

 最近の読むもの、書かれるものといえば、文学ばかりでなく、何だか人間そのものが薄っぺらで、底が透けて見えるようで、読んでいてつまらないものが殆どである。厳しい社会状況こそがかえって名作を生む土壌となりうるということなのだろうか。『人間失格』は人間失格の自覚のない時代に生きている我々に改めてそのことを問いかけるのである。