こんなに頭のよさそうな人がそろっているのに、人も秩序も経済もさっぱりよくなっていかないのはなぜなのだろう。
話している特に政治家達の顔をじっと見る。
あぁ、なるほど・・・・・
みんな〝自分は頭のいい人間だ〟と思い込んでいる。
みんな〝自分は正しいことを言う人間だ〟と思い込んでいる。
みんな〝自分は人間が出来ている〟と思い込んでいる。
だから人の話を聞かない。人の話に耳を傾けない。みんなの知恵と力を合わせなければ何もできないというのに・・・・・。
自分だけでは何もできない、自分達だけでは不十分だ、と思わないから連携が生まれない。相手も同様に思っているから協力も生まれない。その代わりに生まれるものは、対立と抗争だ。昔から何も変わらない。
自分だけでは何もできない、自分達だけでは不十分だ、と思わないから連携が生まれない。相手も同様に思っているから協力も生まれない。その代わりに生まれるものは、対立と抗争だ。昔から何も変わらない。
本当に頭がよくて、本当に出来た人なら、人の話をよく聞き、人の話によく耳を傾けるだろう。そう出来ないというのは実際はそうではないのに、そうだと思いこんでいるせいだ。偉くもないのに偉くなった人間はみんなそうだ。耳を傾け、よく聴けば立つ瀬が無くなる……だから思い込むしかないのだ。これは頭の良し悪しというより人間の器量・度量の問題だ。
出来ていない人間が人の話を聞かずにどうするというのだろう。
私は思う。政治家も、それを選ぶ国民も、教育者も事業家も〝まずは人間づくり〟を人生の屋台骨に据えなければ、この国は益々危ういことになっていく。そして、やがて再び戦の時を迎えるだろう。真の自分を見誤ることほど怖ろしいことはない。
「国民の皆さんの・・・・・」
政治家達はよくこの言葉を使う。
国民の皆さんの切なる願いは・・・・・
国民の皆さんの求めているところは・・・・・
国民の皆様の意見にしっかりと耳を傾け・・・・・
日本は民主国家である(ということになっている)からこうした言動におかしなところは無いのだが、間違えてはならない。民主国家とは大衆国家のことではない。単に賛成多数で物事が決まっていくなら、それは明らかに民主主義ではなく、大衆主義というべきだ。もしそれで良しとするなら、前提に少なくとも大衆の中に正しい民衆の眼があることが条件だ。もしそれは適わぬことであるというならば、少数意見の中に正しい民衆の意見を見ることが必要である。
多くの政治家達の胸の内に「民主」という言葉はどのように写っているのであろう・・・・・この言葉だけが空虚に空を舞っている。