旅には捨てる直前の下着類を持ち、その場その場で捨てて来ると言う。洗わなくていいし、持ち帰る手間も省けて合理的じゃないか、ということらしい。
だが、私は仮に使い古したものであっても、旅先でそのまま使い捨てという気分にはなれない。破れたり、擦り切れたりしてもう限界を迎えた時でも、必ず洗濯し、感謝の念を込めて、それから処分する。
こんなことは人間として当り前のことだと思っていたが、こんな風に思う人は年々減っているらしい。これも使い捨て時代の影響だろうか。
今まで長く世話になってきたものだ。捨てる前に清めの塩を振ってとまではいかないが、もう用無しとばかりにゴミ箱にポイ捨てではどうも心が許さない。人としてのあるべき姿からどこか外れているからなのだろうと思う。
今年の二月にスキー部(住まい塾にはスキー部がある)の合宿で訪れた志賀高原・丸池ホテルのレストランでは金継ぎ補修された器が少なからず使われていて、経営者の人柄と器への思い入れが感じられて爽快だった。
よきものを選び、愛着をもって使い、粗相の無いように扱う。これはモノに対する人間側の最低限の礼儀である。高価なものであろうと、安価なものであろうと気に入って使い始めたら最後までよきつき合いをしたいものだ。物心一体という言葉が甦ってきた。