2017年10月2日月曜日

コラム 109  漢字に遊ぶ その② ―痴―  

知識が高ぶりにつながったり、物知りであることを鼻にかけたりして知が病になれば、「痴」即ちおろかという字になる。古くから学者、物知りがいましめられてきた所以(ゆえん)である。
知ることは知識に始まり、人間的な広がりを身につけて知恵となり、やがて生きる上での真の力・深さともなって智慧となる、などと言われる。別の表現をかりれば、知識は行を通じて知恵となり、さらなる精進を重ねて智恵となり、それが醸成されて真の智慧となるとも言われる。
こうなってこその知であるのだが、しかし我々の知は余程気をつけなければしばしば痴に向かう。いかに商いの才に優れ、財を積み、博識、権威を身につけても、徳が出来なければ人間の成功者とは呼べない、ということである。特に今日、知の病に陥っている人を多く見かけるようになった。 


「痴」は又「癡」の俗字ともいう。
「痴」は元「癡」と書かれていたところを見ると、痴とは人を信ぜず、疑い深い病だと遊び解釈することもできる。このような解釈は的を外れたものであるかもしれないが、しかし今日的解釈として真実が含まれている。
痴(=癡)には
    おろか(愚)
    くるう
    仏教では三毒(さとりをさまたげる三種の煩悩)貪(ドン・むさぼり)・瞋(シン・いかり)・痴(チ・まよい) のひとつ、と『漢語林』にはある。
音痴・愚痴・白痴 の痴であり、痴漢・痴情・痴人・痴態・痴呆・痴話 の痴である。
因みにチカンをなぜ「痴漢」と書くのかと調べてみたら、漢には男という意味がある。即ち痴漢とはおろかな男のこと、これが国訓では、婦人にいたずらする男を意味することになる。
漢を中国を意味するものとして、これを差別用語のように誤解している人もいるようだが、それとこれとは無関係のようである。そう判ってホッとした。