2017年8月7日月曜日

コラム 101  「戦争」以前に「喧嘩」は無くなるのか? その②  

キジバトが朝からケンカを繰り返しています。昔から幾度も幾度も同じことの繰り返しです。長年調停役を務めてきましたが、その甲斐全く無し。
エサはたっぷりあるんだから、エサの奪い合いじゃないんですね。縄張り争いですか?〝おい、俺の島に勝手に入るんじゃねえ!〟ちょっとヤクザですね。
それとも雌の奪い合い?――〝俺のスケに近寄るんじゃねえ!ちょっかい出すんじゃねえぞ!〟こんな調子ですかね・・・・・これもかなりのヤクザですね。
してみると、人間のヤクザって稼業はいたって自然発生的なものかもしれません。
根っからの暴力団はイケマセンけれども、私は任侠ヤクザと割りと肌も気も合うところがあって・・・・・おぉ危ない危ない、あの人は元ヤクザと交流があったなんて騒がれなければいいのですが・・・・・。 

 
「人間性善説」「人間性悪説」とて今日までなかなか決着がつかないのは、どう見ても現実の人間は両側面を兼ね備えていると見えるからなのでしょう。
仲よく、と言ったって
兄弟ゲンカは絶えない。
遺産相続のモメゴトはおきる。
敷地境界、タイル一枚のことでいさかいが起きる。
 決心無しのなりゆきまかせでは、喧嘩も絶えない、戦争も絶えないことになる。
 決心したってあぶないものです。 

 だから〝永遠に戦争を放棄する〟と日本民族が決心したということは実にどえらいことなんです。
 これを少しずつ少しずつ娑婆の論理、普通の論理に近づけていこう、とは多少勇ましく見えても、やはり喧嘩の絶えない、戦さの絶えない世界に確実に近づいていくことになる。
 永遠に戦争放棄を誓った日本国憲法の第9条にノーベル平和賞を!とは実はまだ生ぬるい――「宇宙平和賞」でもあれば、それをこそあげたいものです。これを持続的に実現していくためには、人間の摂理をのり越えていかなければならないのですから・・・・・。