2017年8月28日月曜日

コラム 104  気温って一体何なのだろう―その②  

かつて神奈川県逗子市の山中に小さな家を依頼された時にも同じことを感じたものだった。駅を降り立ってコンクリートの道を歩いて行った時のあのジリジリとした暑さ!しかし山道に入っててくてく登って行った先の森の中の涼しさは驚きだった。
標高にして100メートルも差はなかったに違いない。あの時も思ったものだ。〝今日の逗子の気温〟とはいったい何なのだろう・・・・・と。 


考えてみれば街とか都市とか呼ばれているところは、この樹々や森を粗方失くしてしまった所といっていい。今回の調査に見るように、緑を失えば街は急激に熱くなるのである。
年々暑くなるのは地球規模での環境の変化であって、我々個々人の日常生活に大した責任は無いと思われているかもしれないが果たしてそうだろうか。
樹々を失わしめたのも人間であれば、夏ともなれば超高層ビルといわず、おびただしい数の建物、商店、住宅、それに車や電車、バスに至るまで、こぞって膨大なエネルギーの熱風を吐き出し続けている。これらすべてが人為である。
暑くなる原因を自ら作り出しながら暑くてたまらないとさらに冷房を加速させる。冷房とは外にあっては歴とした暖房なのである。この悪循環をどこかで断ち切らなければ、この不快な人工現象は止まるところを知らないことになる。
エアコン一台の代わりに一本の樹木を!
しかも落葉広葉樹を中心に・・・・・。この活動に街ぐるみ、地域ぐるみで持続的に取り組んでいくなら、やがて街に夏には葉を広げて涼気を運び、冬には葉を落として陽光を迎え入れることが出来る。樹々達は、季節感と共に人々に安らぎを約束するだろう。
隣家の落葉に苦情を申し入れるより、お互いにそれを許容し合ってあちこちの雑木がつながっていくならば、やがて街全体が雑木に包まれることになるだろう。山中で描いた私の夢であり、救いがたい悪循環への実現可能な試みの提案である。