2024年9月16日月曜日

コラム391 <山梨県北杜市の太陽光発電に物申す Ⅰ > 


 山梨県北杜(ほくと)市は清里・小渕沢を含む八ヶ岳東南麓5町3村が合併した比較的新しい市だ。標高が高く、緑豊かな美しいエリアだ。市長は自然エネルギー(と云っても太陽光発電のことだが)推進を政治公約に掲げて当選し、正確には知らないが、もう何期目かを迎えている。

 自然エネルギー推進は時流にも適って、その方針に異を唱(とな)えるものではないが、その後の姿を見ていると、あちこちで山林が大規模に伐採され、広大な森林を失わしめて、太陽光パネルによって豊かな自然環境に傷を残し続けている。

 この自然環境破壊のみならず、景観破壊に反対する市民も多いと聞くが、自由主義経済の元では民間のプロジェクト申請を退ける術(すべ)を持たないのだろう。やろうと思えば条例などで規制するなどいくらでも可能なのだが、何せ市の方針が推進ときているのだから規制などする訳が無い。

 自然エネルギーと云えば聞こえはいいが、森林を広大に皆伐しての太陽光発電パネルの設置には、私も大いに疑問を持つ。疑問どころではない、SDGs対策を総合的に考えての判断かと、この本末転倒の施策には憤りすら感じる。樹々の果たす役割にはCO2の吸収や酸素の供給ばかりでなく、気温に果たす役割もきわめて大きいからである。

 私の山小屋は標高1600メートル付近にあるから、涼しいのは当然だと皆思っているだろう。しかしそうではない。同じ別荘地内でも樹々を皆伐した区画などに入ると気温が急上昇する。標高1100メートル~1200メートル位に開発された大きなマーケット、さらには1000メートル地帯の街まで下がると、もう都会と変わらぬ猛烈な暑さだ。これは7年程前に、一人で実測して歩いて実証済みだ。その結果はコラム103 (2017年8月21日)に載せてあるが、私の山小屋の室温が窓を閉めた状態で24度の時、街は36~7度にも達していた。考えてみれば都市に限らず街というのは、表現を変えれば元々あった緑を人間達がすっかり無くしてしまった地帯だと言える。

 このような例を待つまでもなく、大規模な森の消失は地域気温の急激な上昇をもたらす。のみならず、太陽光パネルの製造にも、設置工事にも、はたまた寿命が来て廃棄時期が来たらこの処分にも大量のエネルギーを消費するだろう。設置されたあるところでは周辺の人々はもう住めないとまで言っていた。北杜市の最大の魅力、宝は何であるのかを市長をはじめもっと総合的に見つめ直してもらいたいものだ。(2024年8月初旬に記す)




2024年9月9日月曜日

 コラム390 <若い時分からの私の人生目標②> 


 これも私の学生の頃か白井研究所に入りたての頃に思ったことだ。その頃は吉野屋の牛丼が大はやりで、よく食べた。その思ったことというのも妙なことだ。


 〝将来えらくなって吉野屋に入るのに抵抗を感じるようになったら、私の人生は終わりだ!〟


というものだった。新橋駅前の吉野屋に入った時に思ったことだった。だからという訳ではないが、今でも時々食べる。当時のことが想い出されて懐かしくなる、というよりも単純にうまいからだ。住まい塾を始めた頃、縁のあった高級料亭で、高級ブランド牛のスライス肉がのせられた牛丼ランチ(当時の値段で一杯1800円か2000円だったと記憶している)をご馳走になったことがあったが、やっぱり牛丼は、クズ肉のようなもので作られたものの方がうまい。今でもそう思う。


 人生目標という程の大げさなことではないが、若い時には若い時なりにおもしろいことを本気で思うものだ。そこに自分らしい大事な種が隠されているかもしれない。



 




2024年9月2日月曜日

 コラム389 <若い時分からの私の人生目標①> 

 

 若い時分には妙なことを思うものだ。私の人間としての人生目標は


  〝天皇陛下から浮浪者まで差別なく相手にできる人間になること〟


 色んな人に平等に接することのできるようになること位の意味合いだったのだろうが、こんなことを思ったのは大学卒業直後の頃か、あるいはもう少し若い時分のことであったかもしれない。何かきっかけがあったのだろうが、少なくとも考えたのではない。自然にそう思われたのである。この思いは今も大きく変わらない。

 なぜ天皇陛下なのかは、単にえらい人といったニュアンスに過ぎなかっただろうが、白井晟一研究所時代の早朝配達の仕事や自転車でのデパートの御中元・御歳暮配達、夜中の洗車場や土工、それにキリスト教会でさまざまな立場の人々と出会ったことが大きかったに違いない。


 住まい塾の活動を準備していた頃にはすでに山谷の住人二人との交流が始まっていた。こちらが望んで始まった訳ではなく、教会に集っていたある人との縁で、困っている人の相談を持ち掛けられたのが機縁で、期せずして交流が始まったのである。私には全く自然なことであった。経験も知識も浅いというのに何せ教会の支部長に任ぜられていたのだから・・・。人々には色んな境涯の人がいることを知ったのもこの頃のことである。


 今振り返ると、この頃の経験によって人間としての肝っ玉を座らせられたといった印象がある。





2024年8月26日月曜日

 コラム388 <気力>


 本を読むにも気力がいる。身体が辛過ぎたり、苦し過ぎたりすると、この読書が出来なくなる。こうなると文章を書くのは一層困難となる。


 2024年7月3日夜10時、山小屋の広間で激しく転倒し、頭、腰、肘等を床にしこたま打った。頭がバウンドした程だった。

 6年前の視床部脳出血の後遺症で左半身にマヒが残った。リハビリの名セラピスト達のおかげで順調に恢復を見せたが、途中コロナワクチンの三回の接種の副作用が逆追い打ちをかけた。マヒ側全体の筋肉がひきつり、それに伴う各部関節の痛みが加わって、現在は椅子に腰掛けているにも30分が限界だ。坐骨神経痛のように、お尻から腰にかけて苦しくなり、耐え難くなるからだ。


 軽い読書位なら30分ごとに室内をゆっくり歩いて苦しさを緩(ゆる)めることは可能だが、長く続けてきた私のブログ・・・特に清書の段階となると、文に神経が集中するせいか、2~3時間は座ったままになっていることが多い。

 気が付いた時には足腰が立たない。はずみをつけて椅子から、やっと立ち上がった時には脚がシビレていて、おまけに床に置いてあった3ヵ月分の薬の入ったダンボールに足がつっかかって、前のめりに転倒したのだった。


 これまで数十回は転倒しているだろう。幼い頃からやってきたスキーでの転倒経験が活きているのやら、高校時代にやっていた柔道の受け身が咄嗟に出るものやら、室内での転倒は身体を半回転させながら左マヒ側を下に、頭・腰・肘等を打つのである。今回もそうであった。

 3月下旬の本部での転倒から到頭(とうとう)硬膜下血腫(頭蓋骨内出血)が起きた。〝頭の中が固いと骨まで固くなるんですかねえ・・・〟などと医師と冗談を交わしていた矢先であった。

 その出血がやっと止まって血液が吸収されつつあったところに、再度の頭の強打である。


 一週間後、諏訪中央病院で再検査(CT)を受けた。新しい出血こそ見られなかったが、左側のマヒ症状がさらに強烈になっているところをみると、血腫は見られなくとも、何か脳内に異常が起きているようだ。腰骨と左肘・肩・脇腹・肋骨(ろっこつ)の苦しみは打撲のせいで骨そのものには特に異常はなさそうだが、出血5回を含めて、満身創痍(そうい)状態だ。

 病院へは親しくしている近隣の吉井さんが、連れ合いと一緒に車で連れて行ってくれた。色んな人に迷惑のかけ通しだ。

 生身の人間はランボーのような訳にはいかない。






2024年8月19日月曜日

 コラム387 <政治不信③> 


 人間崩壊とさえ思わせられる事件が世界各地で起きている。そんな中我が国にも重要課題が山積している。

 ・食糧自給率をどのように高めていくのか

 ・環境破壊問題

 ・水問題

 ・エネルギー問題

 ・原発の危険性/長年具体化されないままの廃棄物処理問題

 ・原発ムラと呼ばれる闇社会では国家予算の巨額の無駄ガネが蠢(うごめ)いている。

 ・毎年度末の予算消化という名の巨額の予算浪費

 ・天下り問題だって大きな問題だ。

必要な人材が有効に登用されるのならばまだしも、

  慣例化した官僚達の地位を利用した形式天下りは、

国税の浪費、国民の納める税の無駄使いである。

 ・教育の世界は金に美しいか?

教育というより、年々経済事業の性格を強めていないか?

その他挙げればきりが無い。だが何といっても第一には人間の根幹たる心のあり様を民族としてどのような方向に育んでいこうとしているのか、という問題だ。学歴社会・経済社会一辺倒のようなありさまでいいのか?


 秋田県男鹿半島の基部にあった潟湖(せきこ)八郎潟。琵琶湖に次ぐ我が国2番目の広さを誇った良漁場が大規模機械化農業の名の元に国家プロジェクトとしてその8割が埋め立てられた。私が中学か高校生の頃ではなかったかと思う。それが定着安定する間もなく、国は減反政策に転じた。漁民の仕事を奪い、その補償金、埋立工事に巨額の投資をし、入植者を募り、あげくの果ての結末は多くの土地成金を生んだに過ぎなかった。この問題が大きく騒がれなかったのは口封じに有効な程巨額の金が投入されからに違いない。これなど貧困な政策のほんの一例である。このプロジェクトの最初から最後までに注がれた費用の総額は、いくらになったものだろうか。検証と反省がその後の事業に役立っていればいいのだが、その気配さえ無い。





 


2024年8月12日月曜日

 コラム386 <政治不信②> 


 私の故郷秋田県の県庁所在地秋田市は行く度に感じるが、寂(さび)れる一方である。都市型デパートの進出により地元老舗百貨店は無くなり、いい建物、木造の優れた料亭などもあったが、共に姿を消した。時代の流れと云えばそれまでだが、県や市の夢のある将来像を描けない政治家達にも責任がある。


 秋田市民となって60年になる私の姉は言う。


 〝知事も市長も悪いことなんにもしないかわりに、いいこともな~んにもしないもの。

  あれなば県も町もよくなる訳無いべた〟


蓋(けだ)し名言である。悪いことをしなければよくなるかと云えばそれは違う。よくするには、よいことをしなければならないからである。


 今ウラ金問題に端を発した政治資金規制法改正案が騒々しいが、与党、野党で5万だの10万だの、いやいや20万だのと言い合っていて、あれには呆(あき)れる。

 政治家も政党も年々小さなことをつつき合い、ちまちまとなっていく。虚偽問題の裏にかくれた巨偽問題が政治家達には見えないのだろうか。大き過ぎて目に余るのだろうか。きっと近過ぎて見えないのだろう。


 日本をどんな国にしていきたいのか、どんな民族に育んでいきたいのか、今の政治家達に、釣られて国民にまでも大局の志・夢・希望に対する大志が見失われた。元々そんなものは無かったのか?





2024年8月5日月曜日

 コラム385 <えらぶらないところがすごい?> 


 八ヶ岳の方のベテランヘルパーさんが言った。


 〝シュウイチさんて、えらぶらないところがすごいわよねぇ・・・〟


(介護関係の仕事にたずさわる人は名前で呼ぶ人が多いのは認知症になると姓で呼んでも反応しなくなる人が多くなるからだそうである)

 だから私は応えた。


 〝えらぶる必要なんかないんだよ。

  ほんとうにえらいんだから・・・〟

 〝ホントだ!〟


と言って二人で笑いあった。介護の中にも笑いあり。