コラム389 <若い時分からの私の人生目標①>
若い時分には妙なことを思うものだ。私の人間としての人生目標は
〝天皇陛下から浮浪者まで差別なく相手にできる人間になること〟
色んな人に平等に接することのできるようになること位の意味合いだったのだろうが、こんなことを思ったのは大学卒業直後の頃か、あるいはもう少し若い時分のことであったかもしれない。何かきっかけがあったのだろうが、少なくとも考えたのではない。自然にそう思われたのである。この思いは今も大きく変わらない。
なぜ天皇陛下なのかは、単にえらい人といったニュアンスに過ぎなかっただろうが、白井晟一研究所時代の早朝配達の仕事や自転車でのデパートの御中元・御歳暮配達、夜中の洗車場や土工、それにキリスト教会でさまざまな立場の人々と出会ったことが大きかったに違いない。
住まい塾の活動を準備していた頃にはすでに山谷の住人二人との交流が始まっていた。こちらが望んで始まった訳ではなく、教会に集っていたある人との縁で、困っている人の相談を持ち掛けられたのが機縁で、期せずして交流が始まったのである。私には全く自然なことであった。経験も知識も浅いというのに何せ教会の支部長に任ぜられていたのだから・・・。人々には色んな境涯の人がいることを知ったのもこの頃のことである。
今振り返ると、この頃の経験によって人間としての肝っ玉を座らせられたといった印象がある。