2021年1月4日月曜日


 コラム198 <この小さな島国に原発54基?———その① > 

新年であるから、めでたい話でもしたいところだが到底そんな気分にはなれない。地球も人類も滅亡に向かっているのではないかとさえ思われるからである。新型コロナウィルスのせいばかりではない。原発問題をはじめ人類の生きる方向に対する不安である。

この小さな島国日本に原発が54基あるという。現在稼働しているのが何基あるのか知らないけれど、また54基中何基稼働してのことであるか知らないけれど、原発の全発電量にしめる割合は約30%という。私は知って何もしないのは性分に合わないから、山中生活で〝この電力消費を30%減らしてやろうじゃないか!〟と思い立って実践したことがある。使いたい放題に電気を使って原発反対でもないだろうと思ったからである。

その時も、かしこい(時々かしこくないものもいるけれど)日本人なら〝原発を不要のものとするために電力消費を30%減らそうじゃないか!〟と国が強いリーダーシップを発揮したら十分可能なことだと思った。

私は今、車でスーパーに買物に出かけても十分歩けないから買物の方は連れ合いに頼んで私は玄関脇の椅子に腰かけて入ってくる客達をじっと見ている時がある。今回の新型コロナウィルスで、一人たりともマスクをしていない客はいないし、入口ではアルコール消毒を忘れない。この徹底ぶりを感心して眺めていた。信州人だからこんなに律儀なのかと感心に思っていたら、秋田の姉は〝秋田だってそうだってば〟と言う。これなら原発廃止のために、30%の電力削減を!と国策として具体的にやろうとしたら、確実にできると改めて確信した。

なぜ国はやろうとしないのか。〝そんな簡単な話じゃないんだよ。闇の世界に張っている根が深いんだよ〟などと判ったようなことを言う者も多いけれど、大して判っていないで判ったような顔をしている人間が多いのが一番いけない。行動を生まないからである。

 

この半年、山中で読んだ本は以前からぜひ読んでおかなければならないと思っていた下記の二冊である。

『六ケ所村の記録(上)、(下)核燃料サイクル基地の素顔』:鎌田慧著(岩波現代文庫)

私は行動を共にした訳でもないし、その場に住んで実体験をした訳でもないから、内容を解説したりできる立場にはないが、表紙の帯だけはここに記しておこう。

 

 (上)巨大開発のために土地が収奪される中で抗い続ける多くの人びとがいた。やがて核廃棄物再処理工場が村に———。寒村の百年を描く渾身の書下ろし大作

(下)使用済み核燃料再処理工場建設は何の為か?原子力開発の拠点とされた村の歴史とその人々の肉声を40年間聞き取った労作

 

 上記の二冊を私は歯ぎしりしながら読んだ。そして当時私が同じ地域に住む村民、漁民だとしたらどうしただろうかとしきりに考えさせられた。歯ぎしりし過ぎたおかげで奥歯の親知らずを二本抜く羽目になった。

上記の本を読んだ者は巨大開発だの国策だのというものは、いかに多くの村民や町民達をあざむきながら進められるものであるかを思い知らされるだろう。

 

2020年12月28日月曜日


 

コラム197 <気力はどこから出てくるものか②>

  発症後あと二か月足らずで、三年になる。やっと、やる気という意味での気力が甦りつつある。私にとっての本当の自主トレーニングはこれからだ、と思えるようになってきた。発症後半年経過したら、以後大きな回復は望めないなどという医学界の常識に捉われずに、73才になった私は淡々と自主トレを続けるだろう。そして発症後5年後にはどこまで恢復しているか改めて報告したいと思う。息巻いていた割に恢復していないという結果になるかもしれないが、生きるとはそのプロセスだから……結果は天のみぞ知る、である。

 自主トレの自分なりにの組立を考えるに、若い頃やっていたスポーツ(陸上競技やスキー)が大いに役立っていることは確かだ。病院では入院中も退院後も転ばないように、転ばないようにと再三注意を受けたが、転んで起き上がるのも経験の内だろう。特に退院後はこれまで幾度も転んだし、笹ヤブの坂を滑り落ちて大きな石に頭をぶつけ、血を流したこともあるが、大したケガもなく済んでいるのは、若い時分、柔道をやっていたおかげであると思う。転び方がうまいのである。セラピスト達はトレーニング中にケガでもされると責任問題となるから、チャレンジャブルなトレーニングをどうしても控え気味になる。だから私は最初から宣言した。
 〝トレーニング中に転んでケガしようが、私は病院の責任など決して問いませんから……〟
 こうしてセラピストとの気も合って思いっきりのいいトレーニングを随分させてもらった。1階のリハビリルームから病室のある4階までの階段を許可もなく登ったこともある。挑戦しなきゃ、楽しくないよ。
 気力とは、気質にもよる。気質とは生まれた時に身についてくるもののようであるから、簡単には鍛えられない。熱き胸(思い)と、力の入らぬ丹田では、気力はどうにもならないのである。志(胸)と気(丹田)はどこかでつながっているものかもしれない。
 もっと日常的な気分でいえば、

 Ⓐ・今日の体調は最悪であるし、ベッドに横になったまま休んでいたい……
  ・ああ、腿(モモ)の筋肉がもう限界である。こんな調子では歩けそうにない……
  ・風も強いし、空は暗いし、今日は歩きに出かけるのはよそう……
 Ⓑ・そんなことはどうでも、よ~し、一丁やったるか……!

 ⒷマイナスⒶがプラスとして残れば行動が起こせる。気力があるとは、このプラス部分が残ってこそはじめて言えるのである。自分との闘い、気力との闘いとはこういうことである。

Ⓐに勝るⒷということである。

2020年12月21日月曜日

 コラム196 <気力はどこから出てくるものか①>

 最近やっと〝がんばってるよ〟と他人に少し言えるようになった。がんばろうにも気力が出なければがんばれない。これまでもがんばってきたつもりだが、気力がないと〝がんばってるよ〟とは他人には言えないものだ。気力と一口に言うが、この〝気力〟とはどこからどうやって出てくるものか判らないし、医学の世界でもきっと判らないことだろうと思う。どうも脳や特定の内臓から出てくるものではなさそうだし、栄養を沢山とって出てくるのは体力の方であって気力とは言い難いし、歯を食いしばっても持続して出てくるものでもない。漢方では丹田が全身の精気の集まるところとされるが、これは少し当っているような気がする。スキーで〝リラックスして〟と言っても、丹田まわりも含めて腹筋の力を抜いてはギャップで飛ばされて安定した滑りが出来ないことを経験上知っているからである。 

 リハビリのセラピスト達は気力のない人(やる気のない人)にはどんな名トレーナーが付いてもどうにもならないと言う。確かにその通りだろうと思う。しかし、私の経験から言うと、名トレーナーとは専門技術が高いというようなこともさることながら、患者にやる気を起こさせる人のことを名トレーナーというのではないかと思うようになった。
 退院後の自主トレーニングの段階となれば、基本的にやる人は自分しかいなくなるから、気力の問題が大きくなるが、それでも一緒に添って歩いてくれる人、励ましてくれる人、誉めてくれる人の存在は大きい。

  私は入院中は主治医にも恵まれた。リハビリのセラピスト達にも恵まれた。とにかく、多く住宅の話を交えながら楽しくやらせてくれたのが何よりだった。退院後も多くの人々に恵まれた。連れ合いや二人の姉を筆頭に、別荘地内の友人達にもよく助けられた。自主トレの環境にも恵まれた。勿論、私が不在の間、住まい塾の活動を支えてくれた仲間達もよくがんばってくれた。
 こうしてみると、気力というものは自分の身体内のどこかで生み出されるものというよりも、もっと複雑にさまざまの要素がからんで生まれてくるもののように思われる。〝湧き所は胸〟という表現が一番実感に近い。

2020年12月14日月曜日

 

コラム195  <脳卒中(脳出血や脳梗塞など)の後遺症に苦しんでいる方々へのはげまし その① >

  脳出血とか脳梗塞などを総称して脳卒中ということすら、私は知りませんでした。脳出血などは特に一瞬にして気を失い、バタンと倒れるもののように思っていましたが私の場合は全く違いました。2018年2月11日日曜日、午後1時からの定例勉強会のあと、ユーザーとの打ち合わせをひとつ済ませて、スタッフが用意してくれていた遅めの昼食をとり終えて、お盆を寄せようとしたら、アレッ?といった感じで左手に力が入らないことに気付きました。定例の勉強会後だったのでスタッフがまだ残っていましたし、声をかけて2階の自室に呼んだ時にはすでに左脚にも力が入らず、スタッフの山上君に左肩を支えられながらも床にへたり込みました。こうして救急病院に運ばれました。意識は自分でははっきりしていたように思います。

  あの日からもう三年近くになります。恢復が捗々しいとはいえないまでも、二つのリハビリ病院での基礎トレーニングで、一本杖で歩けるようになりましたし、多少のことなら左手も使えるようになりました。私が基礎トレーニングと書き、今日のコラムに〝はげまし〟と付けたのは、国が定める入院リハビリテーション期間は6ヵ月が最大と決められているからです。その期間を過ぎると大きな恢復は望めないとされていて、ベテランの医師程そう確信しているようです。国の定めもこの考えに基づいています。ですから、その後は別の形のトレーニング方法をとるか、どうしても自主トレーニングが中心にならざるを得ないのです。はげましとして書きたいと思ったのは私の場合、一本杖で比較的安定して歩けるようになったのも、左手の握力が10kgを超えて15kg位まで回復したのも(半年まではゼロでした)、グー・チョキ・パーが何となく出来るようになったのも、左手でボールを投げられるようになったのも(勿論下手投げですが)、左指先で動き曲がりなりにもファスナーを上下できるようになったのも、作務衣のひもをたどたどしくも時間をかけてやっと結べるようになったのも、すべて半年を過ぎてからです。ですから、〝半年〟などという医学界の常識に捉(とら)われずに、坦々と自主トレーニングを中心に励んで欲しい、というのが私からの励ましなのです。時には奥歯をかみしめて折れそうな自分の心と闘わなければならない日もありますが、これまで心が折れて自主トレーニングをあまりしなくなった人を数多く見てきました。心が折れたら回復は望めません。私はそう思って主たる病院である信州上田の鹿教湯(かけゆ)病院でもセラピスト達に〝高橋さんはこの病院でも自主トレランキング、No1だよ〟などとおだてられながら調子にのってがんばれたのです。あまり無理せず、継続して自主トレーニングをしていけば、ほんの少しずつでもできることが増えていきます。
 私の現段階での最大の難敵は左脚及び左肩から指先までの強烈なシビレです。それでも折れずに、マッサージ師の助けをかりながら毎日トレーニングに励んでいます。もうダメだ!と思って諦めかけている人々にエールを送りたいのです。私だって時々、〝こんなに沢山の人達に世話と迷惑をかけながら生きるのならば死んだ方がましだ!〟と思う時があります。他人の役に立てないまま 生きる というのは辛いことです。〝この役立たず!〟と心の中で自分に向かって自分が言うのです。 

 私の挑戦はこれからも、まだまだ続きます。きっと人々の役に立てるようになるまで……。そうならなければ、恢復を願って多大の犠牲を払ってくれている、特にまだ現役で仕事をしている連れ合いや姉に、そのほか心配してくれている多くの友人や仲間達に申し開きができないではありませんか。


 

2020年12月7日月曜日

 

コラム194 <いい人間関係を築いていくには>

 

 ・喜びの感情を伝え合うこと

 ・感謝の思いを示し合うこと

 ・相手への敬意を抱き合うこと

 人間関係を悪くするには、この逆を歩めばいい。その前提には互いに素直な感情が必要だ。人間である限り、それぞれに多少なりとも課題はある。それでも、責めるよりもずっと多く上記の感情を伝え、示し、抱き合うことだ。

  〝人間は第一に考える動物であり、第二に感じる動物でもある〟としばしば言われる。しかしそれは逆であると、ある脳医学者は言う。〝人間は第一に感じる動物であり、考えもする動物である〟……と。私は なるほど そうだ、と合点した。そうした認識に立てば人の見方も変わってくる。対処の仕方も、発する言葉も、人間関係も違ってくる。40年程前に、この山小屋を作ってくれた大工さんは毎年数回訪ねて来てくれる。世話になったリハビリ病院のセラピスト達も忙しい時間を縫って片道2時間の距離を遊びに来てくれた。うれしいことではないか。互いに上記の感情を持ち合っているからである。



2020年11月30日月曜日

 

コラム193 <巨大化する資本主義社会はどこへ行く —— 人間の幸せについて>

 

 金(カネ)・金(カネ)・金(カネ)の気配が年々濃厚になっていく。その先に待ち受けているのはどんな社会だろう。

 こんな時代になっても貧困が生む辛さ、悲劇が世界中に少なからず存在し、時に残酷ですらある。逆に、ならば贅沢三昧の生活は幸せを生むのか。

  ・使い切れないほどのお金

  ・欲しいと思うものは何でも買える

  ・食べたければ豪華食がいつでも食べられる

こうした生活は一見幸せにつながるように思われるが、さてどうだろう。私自身もこれまでの人生で上記のような状況にある人を幾人か知っている。その人達に同じ問いを発したなら、大方金(カネ)は幸福を保証しない、幸福の要素は他のところにある、と答えるだろう。上記のような状況にありながら、生活センスが悪いとなると住生活という観点から見ると始末に負えぬ程の不幸を招く、と私の眼には映る。

 年末ジャンボ宝くじなどに当った人達のその後を追ったTV番組を見た。それによると自滅あるいは破滅生活に陥っている人達がほとんどだった。見たことも、持ったことも、使ったこともない大金を突然手にするのだから大金の使い方など身についているはずもない。あのような宝くじは人間に幸せを与えないと統計的に判っているのに、それでも年々大型化していく。何千円か何万円か当って喜んでいる分にはかわいいものだが、欲が欲を生んでバクチのようになっている人もいるだろう。しかし常に一番儲けているのは仕掛け人だろう。大きな志でもあってやるのならまだましにもなろうが、一獲千金の夢を追うのはもうそろそろよそうではないか。もし夢が実現したとしても泡銭(あぶくぜに)によっては幸せにはなれないのだから……

 それよりも、分相応の生活をして、程々の生活ができていればそれでいいし、好きで欲しいものなどは時々買えて、時には楽しみに少し贅沢な食事でもできる程度の方がずっと幸せだと私は思う。使い切れぬ程の金に恵まれるより、心のきれいな知的にも豊かなよき仲間達に恵まれている方がはるかに幸せというものではないか……ん!?考えてみればそれは私のことではないか!?あなたのことではないか!?……と、ふと思われた。




2020年11月23日月曜日

 コラム192 <自然生態系>

  私の住んでいる別荘地内の標高1500メートル付近に通称美濃戸池と呼ばれている人工池がある。夏のある時期になるとその周辺には蛍が舞い、仲間とよく見に行ったものだ。〝おお、大きいホタル!〟と私が叫んだら、土手に座ってくわえタバコをしているおじさんだったりしたこともあった。その蛍達も今は絶滅した。

 夏から秋にかけて砂利道を車で走って行くと大量に飛び立った赤トンボも激減した。怖さ知らずで、人差し指を立てると指先にすぐに止まり、キョロキョロもせずじっとしていたものだった。足先をつかんでも逃げようともせず、秋田で生まれ育った私をも驚かせたものだった。

 雨上がりの月夜にはあれ程、道路に出てきて月の美しさを楽しんでいるかに見えたカエル達もとんと見なくなった。自然生態系に詳しい人の話によると、農薬などのせいばかりでなく、森の中や道端を流れる瀬を雨水排水や農業用水の効率的な確保のために大小のU字溝に替えた影響が大きいという。横切ろうとして落下したまま、つかまる所もなく、また産卵場所も失われて下流に流される一方だという。

  美濃戸池の蛍が絶滅したのは、ある日誰かがブルーギルを放流したせいで旺盛な繁殖力で増え、何せ肉食系の魚(北アメリカ原産といわれる)だから、元いたフナやワカサギ、ヤゴ、タニシなどを食いつくして、池はあっという間にブルーギルだらけとなった。池の水も急速にヘドロ化した。こんなところで蛍も赤トンボも生息できるはずがない。私は長い間、別荘地の住民の会の会長を務めていたからいろいろ夢を描いたが、美濃戸池の復活だけは果たせなかった。この辺に生息していた蛍は源氏蛍でも平家蛍でもない、小さめの固有種だという。

  ビオトープなどと騒ぎ始めても、一度失われた複雑にからんだ自然生体系をよみがえらせるのは至難なことだ。失ってみて始めて気づくその貴重さ。生きているのは人間ばかりではない。みんなで生きているのだ。

  害獣駆除と称して日本鹿が大量に殺されている。数年前に知った時には茅野エリアだけでもその年度だけで4千頭近かった。もう鉄砲でではなく、大半が罠(わな)だそうである。罠であるなら他の動物も殺されているはずだ。いつの日か、人間が害獣指定を受ける日が来ないとも限らない。どうする?想像しうるということは、起き得るということでもあるのだから……。