コラム196 <気力はどこから出てくるものか①>
最近やっと〝がんばってるよ〟と他人に少し言えるようになった。がんばろうにも気力が出なければがんばれない。これまでもがんばってきたつもりだが、気力がないと〝がんばってるよ〟とは他人には言えないものだ。気力と一口に言うが、この〝気力〟とはどこからどうやって出てくるものか判らないし、医学の世界でもきっと判らないことだろうと思う。どうも脳や特定の内臓から出てくるものではなさそうだし、栄養を沢山とって出てくるのは体力の方であって気力とは言い難いし、歯を食いしばっても持続して出てくるものでもない。漢方では丹田が全身の精気の集まるところとされるが、これは少し当っているような気がする。スキーで〝リラックスして〟と言っても、丹田まわりも含めて腹筋の力を抜いてはギャップで飛ばされて安定した滑りが出来ないことを経験上知っているからである。
退院後の自主トレーニングの段階となれば、基本的にやる人は自分しかいなくなるから、気力の問題が大きくなるが、それでも一緒に添って歩いてくれる人、励ましてくれる人、誉めてくれる人の存在は大きい。
こうしてみると、気力というものは自分の身体内のどこかで生み出されるものというよりも、もっと複雑にさまざまの要素がからんで生まれてくるもののように思われる。〝湧き所は胸〟という表現が一番実感に近い。