2020年12月14日月曜日

 

コラム195  <脳卒中(脳出血や脳梗塞など)の後遺症に苦しんでいる方々へのはげまし その① >

  脳出血とか脳梗塞などを総称して脳卒中ということすら、私は知りませんでした。脳出血などは特に一瞬にして気を失い、バタンと倒れるもののように思っていましたが私の場合は全く違いました。2018211日日曜日、午後1時からの定例勉強会のあと、ユーザーとの打ち合わせをひとつ済ませて、スタッフが用意してくれていた遅めの昼食をとり終えて、お盆を寄せようとしたら、アレッ?といった感じで左手に力が入らないことに気付きました。定例の勉強会後だったのでスタッフがまだ残っていましたし、声をかけて2階の自室に呼んだ時にはすでに左脚にも力が入らず、スタッフの山上君に左肩を支えられながらも床にへたり込みました。こうして救急病院に運ばれました。意識は自分でははっきりしていたように思います。

  あの日からもう三年近くになります。恢復が捗々しいとはいえないまでも、二つのリハビリ病院での基礎トレーニングで、一本杖で歩けるようになりましたし、多少のことなら左手も使えるようになりました。私が基礎トレーニングと書き、今日のコラムに〝はげまし〟と付けたのは、国が定める入院リハビリテーション期間は6ヵ月が最大と決められているからです。その期間を過ぎると大きな恢復は望めないとされていて、ベテランの医師程そう確信しているようです。国の定めもこの考えに基づいています。ですから、その後は別の形のトレーニング方法をとるか、どうしても自主トレーニングが中心にならざるを得ないのです。はげましとして書きたいと思ったのは私の場合、一本杖で比較的安定して歩けるようになったのも、左手の握力が10kgを超えて15kg位まで回復したのも(半年まではゼロでした)、グー・チョキ・パーが何となく出来るようになったのも、左手でボールを投げられるようになったのも(勿論下手投げですが)、左指先で動き曲がりなりにもファスナーを上下できるようになったのも、作務衣のひもをたどたどしくも時間をかけてやっと結べるようになったのも、すべて半年を過ぎてからです。ですから、〝半年〟などという医学界の常識に捉(とら)われずに、坦々と自主トレーニングを中心に励んで欲しい、というのが私からの励ましなのです。時には奥歯をかみしめて折れそうな自分の心と闘わなければならない日もありますが、これまで心が折れて自主トレーニングをあまりしなくなった人を数多く見てきました。心が折れたら回復は望めません。私はそう思って主たる病院である信州上田の鹿教湯(かけゆ)病院でもセラピスト達に〝高橋さんはこの病院でも自主トレランキング、No1だよ〟などとおだてられながら調子にのってがんばれたのです。あまり無理せず、継続して自主トレーニングをしていけば、ほんの少しずつでもできることが増えていきます。
 私の現段階での最大の難敵は左脚及び左肩から指先までの強烈なシビレです。それでも折れずに、マッサージ師の助けをかりながら毎日トレーニングに励んでいます。もうダメだ!と思って諦めかけている人々にエールを送りたいのです。私だって時々、〝こんなに沢山の人達に世話と迷惑をかけながら生きるのならば死んだ方がましだ!〟と思う時があります。他人の役に立てないまま 生きる というのは辛いことです。〝この役立たず!〟と心の中で自分に向かって自分が言うのです。 

 私の挑戦はこれからも、まだまだ続きます。きっと人々の役に立てるようになるまで……。そうならなければ、恢復を願って多大の犠牲を払ってくれている、特にまだ現役で仕事をしている連れ合いや姉に、そのほか心配してくれている多くの友人や仲間達に申し開きができないではありませんか。