2026年2月23日月曜日

 コラム458   <百聞は一見に如かず> 



 出典は「漢書」とあるから大昔から言われ続けてきた言葉なのだろう。確かにこれもひとつの真理である。


 だが、大方百聞しても悟れぬ者は一見しても悟れないものだ。それが私のこれまでの経験上の実感である。現代に近づけば近づく程この現象はひどい。

 感性に張り無く、緊張感が崩れているからである。おごれる者──これもそのひとつである。素直であり、謙虚であり、常に自分の中に不足を感じている者──そんな鋭敏な感性をもってして初めて


  〝百聞は一見に如かず〟


なのである。百聞しても一見してもボケーッとたるんでいるようでは何をかいわんやである。


 たしかに百聞しても捉えられなかった真理を一見して初めて捉えられることもあるだろう。しかしこの意味を取り違えてはならない。如かずとは及ばぬという意味であって、百聞しても悟れぬ者が一見したら悟れる、あるいは百聞しても理解せぬ者が、一見すれば理解できるようになるということではない。百聞には百聞なりの意味と価値があり、一見はそういう者に対してさらに意味を加えるものだろうと思う。


 百聞に意味を見い出せぬ者は一見しても百見しても一聞にも及ばぬのである。いずれにせよ鋭敏な感性が底辺に無ければ、百聞も百見も意味を為さないのである。

 この鋭敏な感性とは天性のもの、ということもあるが、日常の生活の中でこそ磨かれていくものである。