コラム322 <白井晟一の想い出 ②>
1973年、白井晟一の元に弟子入りしてまもなく、リビングルームの障子の張り替えを仰せつかった。白井晟一はヘビースモーカーであったし、張り替えてからだいぶ月日が経っていたようで、かなり黒ずんでいた。
私は障子の張り替えとはこうするものだと思い込んでいたから、古い障子紙をバリバリと破いてはがし始めた。その時えらく怒られた。
白井晟一の障子の組子の升目は一般の障子より大分大きい。その方が自分の建築空間に調和すると判断してのことだったろう。
〝なんと乱暴なはがし方をするんだ。升目ごとにきれいに切り取って、埃(ほこり)を払い、重ねて束ねておきなさい!私が書の稽古に使うんだ〟
そう言われてNTカッターで組子に傷つけないようにえらく気を使いながら切り取ったのを記憶しているが、その後その紙を書の稽古に使ったところは見たことが無い。古新聞と一緒に出されたか、あるいは単にゴミとして捨てられたかは、私は知らない。
『徒然草』の第184段に「松下禅尼の障子つくろい」という話がある。話が少し長くなるから、興味のある方はご自分でどうぞお読み下され。
概略現代語訳では次のようである(中野孝次訳)。
松下禅尼という方は相模守時頼(さがみのかみ・ときより)の母である。その偉い方が煤けた障子の破れたところばかりを御自分で小刀で切り張りしておられた。
〝切り張りはかえって大変で、しかも斑(まだら)になって見苦しくはございませんか、その仕事は某(なにがし)という男に張らせます〟
と禅尼の兄義景(よしかげ)が云うにこう応えるのです。
〝物は破れたところだけを直して使うものだということを、若い人に見せて教え、注意させるためにこうしているのです〟
天下を保つほどの人物を子に持っておられただけあって、さすがに凡人ではなかった、と結んでいる。