コラム320 <「金」(かね)について>
住まい塾東京本部のある埼玉県志木市でも、連日のように「オレオレ詐欺(さぎ)」の注意勧告が、あちこちに設置されている拡声器から流れる。
〝こちらは防災志木です。朝霞警察署からのお知らせです。
本日、各家庭に市役所職員を名乗る電話が沢山かかってきています。
「返金があるのでキャッシュカードを持って近くのATMへ行ってください・・・」
といった電話がかかってきたら、すぐ110番通報してください〟
等の類だ。
こうしたことは随分以前からあったから、取り締まりによって徐々に少なくなっていいようなものだが、手口が巧妙かつ集団化・組織化して年々ひどくなっているようだ。最近では「巧妙」に「凶暴」が加わった詐欺事件が横行している。被害総額もうなぎ登りに増加しているようだ。
『金(かね)』というものは人の、あるいは社会の何かに役立ってこそ、その代価として受け取れるものだという意識が薄れ、それどころか全く喪失してしまっているような人間が、今の社会には多い。マネーゲーム、IT化が拍車をかける。
〝働かざる者、食うべからず〟
と素朴な言葉で聖書は教えるが、今や〝詐欺を働いて、食いたいだけ喰って平然としている〟時代となり、詐欺を働いて億万の金をダマし取るなどへっちゃらになってしまった。
人間の良心は決して許してはいないだろうと思うが、それは普通の人間の感覚であって、「良心喪失症」とでも云っていいような事件があちこちで起きる。先天性の病とは思えないから、人間のあり方や社会のあり方が後天的にこうした人間と病を多く生んできているのだろう。この世に生を受ける意味は幸福になるためだなどと軽はずみに考える人もいるが、その本意は
〝この地上でさまざまの経験を積み、人間を磨き、人間性を高めることにある〟
という真理を、親も教育者達も、政治家も企業も、もう一度根本から見つめ直す必要に迫られているのではないか。国の経済成長(GDP)のために小学校から株投資のやり方など教えている場合ではないだろうと思う。人間は経済成長のための道具ではない。
金が無いのは辛いことだ。だが使いきれない位の金持でも不幸な人は不幸のままだ。金はあればある程幸せになるというものではない。技術も似たところがあるのではないか?
限り無く発展していくAIの技術世界は今後どんな人間社会を創り出していくのだろう。最近の限りない進展を見るにつけ、楽しい希望や夢などというよりも、空恐ろしい悪夢とさえ思えてくるのである。