2023年5月15日月曜日

 コラム321 <白井晟一の想い出 ①> 


 1973年(昭和48年)から1984年(昭和58年)の白井晟一最晩年の10年間、私は最後の弟子として白井晟一のお世話になった。その前の3年間は大学で助手を勤めた。大学紛争のピークの頃である。


 昨年NHKの『日曜美術館』で白井晟一の特集が組まれることになり、数少ない弟子の一人として取材を受けた(放送2022年1月23日、再放送1月30日)。驚いたことに、この番組で建築家が取り上げられるのはこれが初めてだという。

 冬期のリハビリ入院時期が迫っていたこともあり、大して準備もせずに取材に臨んだが、何せ40年以上前のことだから取材を終えた後、詰まった毛穴が開いたように色々語るべき大事なことが想い出されて悔やまれた。入院前の慌しい中、再取材を検討してくれたが、日程の調整がつかず、断念することになった。取材は3時間程に及んだが、TVの常でその中から使われたのはごく一部である。プロデューサーとは〝退院して一段落したら、番組とは関係なくまた語り合う機会を持ちましょう〟ということで別れた。


 今病室でふと想い出したことがある。私が居た10年間のうちの中期頃だったと思うが、白井晟一が私にこう問うた。

  〝最近君はどういう勉強をしているかね?〟

私は〝日本の歴史を学んでいます〟と応えた。

 白井晟一はすかさず 

  〝何のために、だ?〟

 突然のことであったし、どう応えたかも記憶していないが、30才前後と若かったし、気の利いたような返答をしたに違いない。これまた間髪を入れずに白井晟一の言葉が返ってきた。

  〝君、そんな腹構えで歴史なんぞ学んでも、何の役にも立たないぞ!〟

  〝歴史だけじゃない。学ぶには、構えというものが大事なんだ・・・〟

こう言われたことだけは記憶している。自らに不足を感じ、一歩でも二歩でも生きる確信に近づこうというのでなければ、学びは私の嫌いな「知識人(物知り)」に近づいていくことになるだけじゃないか・・・。学んで、生きる力を篤くしていくというのでなければ学びに大した意味は無い。あれから45年、75才になった今ならば、その意味がよく判る。