コラム267 <骨が折れるより恐いもの>
骨が折れるよりもっと恐いのは、気が折れることである。
リハビリの世界でも、気が折れてはいかに名トレーナー(セラピスト)が付こうが、どうにもならない。
そんな姿を私は沢山見てきた。〝さあ、車椅子から立ち上って、あそこまで歩きましょう!〟と言っても頭を横に振るばかりで一向に立ち上がろうとしない。これではトレーニングは始まらないのである。
色んな人を見ているうちに、名セラピストとは患者にやる気を起こさせる人かと思った程である。
気力はどこで発生するものか、私にもいまだ定かでない。気を溜(た)めるには力まず、リラックスして……そのためにも身体の緊張・強(こわ)張りを解いておくことは重要だ、と言われても、時には歯をくいしばらなければならないこともある。元気とは気の元と書くがこれはどこにあるのか、どのようなメカニズムで発生するものか、私には判らない。が、心の持ちよう、心の状態と関係していることは確かなようだ。体調が万全な時程気力も充実するかといえば、そうとも言い難い。
私の好きだったジャズサックスプレイヤー:スタンゲッツがガンに冒され、闘病生活を続けながら、亡くなるほぼ一年前に演奏されたライヴ盤『ピープルタイム』(日本版二枚組)中の「ファーストソング」はまさに一世一代の名演である。デュオの相手をつとめたピアニスト:ケニーバロンは「途中息が続かず、演奏を中断し、ケニーバロンに演奏のつなぎをまかせる場面もあった」と、ライナーノーツに書いている。そんなスタンゲッツに触発されてか、この日のケニーバロンもまた神がかり的な名演を残すのである。スタンゲッツは愛する女性との結婚を間近に控えていたのである。私はそのあたりの背景を多少知っているだけに、この時のプレイを聴く度に心中が察せられて涙が滲んでくる。
今は無きジャズ喫茶『BUNCA』(バンカ)における、CD、LP視聴会では、自分で推薦したにもかかわらず、薄暗い中で聴きながらむせび泣いた。音楽の感動とはこういうものだとこの夜思い知ったのである。