コラム269 <薬について———その②>
今回のこの3ヵ月分の薬の量を見て、この4年間、こんなに多量の薬を飲み続けてきたのだから私は薬の漬け物のような体になっている、と直感した。
今シーズンは連れ合いが元々悪かった股関節の手術をし、その後のリハビリ期間もあったから、その分長野市に住んでいる上姉がよくよく面倒を見てくれた。 食事中この薬の多さが話題に上がった。姉も病院まで薬をもらいに同行してくれたからである。 姉はいいことを言う。 〝薬って草葉の下(陰と同意)で楽になるって書くのよ〟 なるほど名解釈である。
ある人が貸してくれた本の中にはこうあった。
〝薬は全て毒である。
毒をもって毒を制するというのが西洋医学の対症療法の考え方であって、
効かない薬を処方されるままいつまでも飲み続けているのは、
単に毒を飲み続けているのと同様である……。〟
ああ、その一人が私だ、と思った。そこで自己責任で、自主的に、徐々に計画的に減らしていくプランを立てた。そうでもしない限り薬は減らない。根本は自らの免疫力を向上させること、という主張にも同感だ。薬に頼った生活をしていてはこの免疫力即ち自己治癒力をどんどん弱めることに通じていく、という。 薬や手術なしにはどうにもならないことも中にはあるだろうが、今のこの私がそんな状態にあるとも思えない。生きるも死ぬも自己責任。処方されたこの大量の薬を前に私はそう決心した。主治医の意見も聞くつもりだが、そんなに減らないであろうことは察しがつく。だから自分の身体に聴きながら、自分でプランを立てて実践してみるのである。これは自らが行う臨床実験のようなものである。 処方箋には注意書きとして必ず、〝勝手に止めたり量を減らしたりしてはなりません〟とあるが、それに4年間従ってきた結果が現在である。さっぱり改善されないどころか、かえってシビレは段階的に強烈なものとなり、それが痛みと苦しみに発展し、その苦しさに一睡もできぬ夜がしばしばである。現在の薬の組み合わせが最良と考えられているのだろうか。シビレ専門の病院にもいくつか行ったが、結局薬がプラスされる位でこれといって打つ手はなさそうなのである。だからあとは自己責任でチャレンジするしか無い。草場の下(陰)で楽になるのはもう少し先にして、チャレンジ!チャレンジ!