コラム258 <信じるに力弱くなった時代 >
信じるに弱くなった時代よ、人間よ。人が徹底して人を信じることの少なくなった時代よ。
疑うことが頭のいい人間の証でもあるとお思いか?
〝疑心暗鬼〟という言葉を待つまでもなく、
〝疑心は疑心を生んで限りなし〟という。
こんな人間が、徐々に徐々に増えていく社会に真の幸せや人生の充実がやってくるとは思えない。人としての道を誤っているからである。
こんな人間が、徐々に徐々に増えていく社会に真の幸せや人生の充実がやってくるとは思えない。人としての道を誤っているからである。
気をつけよう。そんな社会に生きることを誰も望みはしないのだから
心掛けよう。親切で優しい、慈しみの心で人と接することを。
それが人間を信じることに通じていくのだから……。
それが何よりも真に人間らしいということだから……。
それが人間であるために最も必要とされることなのだから……。
名ばかりの高学歴社会は多くのうすら物知りを生み、大きな弊害を生んだ。
人間であることの条件を忘れさせたからである。
疑い深いのは明らかに〝人間の病〟である。
以前にも書いたが疑う病と書いて「癡」———おろかと読む。どうおろかなのかといえば、人間として愚かなのである。人が人を信じなくなり、疑い深くなるのだから……。
知る病も「痴」と書き、同様におろかと読ませる。なぜ「疑う」と「知る」が病におおわれれば同義なのか、よく考えてみようではないか。