コラム256 <好きこそ物の上手(じょうず)なれ >
人間皆平等に生まれてくるとは言っても特に物づくりの世界に生きていると、向き・不向きといったことが必ずあり、素質や才能といったものが歴然としてあると感じる。これは建築家ばかりでなく、各種職人にも、工芸家にも言えることである。
昔ある料理人から板前修業で最も教えにくいのはセンスであると聞いたことがある。これはどの道においても共通している。
二千年以上前の『論語』にも次のような言葉があった。
〝子(し)曰(のたまわ)く。之を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず〟
子とは子供のことではない。子供がこんなことを言ったら明らかに天才、天の子である。
私も〝シ、イワク〟を長年、〝師、曰く〟と思い込んできた。ある日、子とは先生という意味であることを知った。だから孔子とは孔先生、子曰くとは孔先生が言われたという意味になる。因みに如かずとは及ばない、という意味である。
何だか漢分の基礎教室のようになったが、しかしながら「知る」とは努力で何とかなるが、「好む」となるとかなりむずかしいことになり、「楽しむ」となると天性との関わりが俄然深くなってくる、生涯をかけて取り組む職業選びには上記のことを念頭に起きながら為されるといい。いびつな経済社会の大渦の中で益々自由のきかぬ世の中になっていることを百も承知の上で言うのである。