コラム 60 < 熊が出た!
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『熊に注意!』のお触れが回った。2009年のことである。それまで八ヶ岳山麓西北面には熊はいないと言われていた。その前年に、別荘地に熊が出たとの噂が立った。その時には〝熊みたいな男に出会ったんじゃないの?〟などと冗談を言っていたが、その後標高の少し下がった農場で二頭の足跡が確認された。
秋田生まれの私には鉄砲打ちの叔父がいて、熊を仕留めたなどという話を耳にしながら育ったから、そんなに大騒ぎすることもないのに、と思っていた。
そんな私を心配してのことか
〝タカハシさん 熊、本当に出たらしいですよ、
野菜なんか外に出しておかない方がいいですよ〟
とか
〝夜行性も強いから夜は出歩かない方がいいですよ〟
と注意してくれる。
まだ出会っていない私はそれでも、その時にはちゃんとあいさつしておきゃあ大丈夫!・・・・・出会ったらね、〝あっ、お元気ですか?〟それでも通じない時には〝Nice to meet you!〟とかね・・・・・などとまだ冗談の域を出ない。それに、この辺でしばしば出会う日本カモシカの後姿は熊にそっくりだから、これを熊と見間違えた人もいたに違いない。
出合ったら死んだふりをするのがいいと、その振りをしたら、あの熊手でゴロゴロとやられたという人がいた。その後どうなったかは詳しく聞かなかったが、本人がまだ生きているところを見ると大丈夫だったのだろう。それにしても生きた心地がしなかったに違いない。
鉄砲打ちの叔父から蝮(まむし)に噛まれた時の対処法は聞かされていた。二股の枝を切り、それで首根っこをぎゅんと押さえつけて首を切り、生皮をべりべりと剥いでその肉をその場で喰う、というものであった。
だがこんな知識も耳学問ではどうにもならず、咄嗟に役立つのは経験である。
熊に襲われたあの主。ゴロゴロのあとどうなったのか今一度聞いてみたいものだが、大山倍達のような訳にはいかなかったようだ。死んだふりをして片目を開けたら、熊がまだそこに居たという。それ以上話したがらないところを見ると、あまりかっこいい退散劇ではなかったのだろう。 (写真は日本カモシカ)