2016年10月3日月曜日


コラム 57  切磋琢磨――死ぬまで切磋、死んでも琢磨  

人間は自分のしたことが他人に喜ばれると、自らも喜びを感じるように出来ている。これは人間に与えられたきわめて貴い特質のように思われる。だがこうした感情は人間にばかりでなく、動物にも植物にもあるという。おそらく自然界全てに同じ原理が働いているのではないかと思う。この原理が破綻なく順調に働けば、感謝の感情が連鎖してやがて穏やかで平和な社会へと繋がっていくことだろう。 

だが、これが逆に出ることがある。
人間は不完全なものであれば、思い違いもあれば失敗もある。良かれと思ってしたことが裏目に出ることだってある。配慮に不足することもあれば、熱意に欠けることもある。これを深い人間洞察と寛容な心で受け止めてくれる人もいるが、そんなことは許さないとばかりに、愚痴や不満、時には怒りや憎しみにまで発展する。こうなれば人と人との関係は平和とは真逆の方向に向かうことになる。 



家づくりの道を歩んで50年、人に喜びを与えることの困難さを痛感する。喜びの波紋をと願っても、人も天もおいそれとそれを許してはくれない。なぜならこの仕事は建よりはるかに色濃く人間を相手にする仕事だからである。それ故、人間が試される。人間そのものの出来が試される。これは住宅設計者に課せられた生涯の試練である。切磋琢磨。この中で人間は鍛えられ、一歩一歩人間としての完成に向かう。しかしこれは、とても一代や二代では到達し得ないものだ。 

〝暖かい心は 仏の心
冷たい心は 悪魔の心〟 

幼い頃から聞かされたこんな素朴なことばが、最近胸に沁みる。