コラム 13 <礼節―その①>
つい先頃までは、人に物を送るに一文を添えるのが当り前だった。手紙を出すにも、心ならずも慌しく書いた時には〝用件のみにて失礼します〟などと言葉を添えたものだった。だが、今はそれすらない。用件のみが当り前となったからだ。手紙も添え状も文面から余韻余情が消えた。ことばはいのちであったと言われる如くに、ことばと共に人も余情残心を失うに拍車がかかった。
礼節とは簡単にいえば、社会の中で人と人との関係が快く保たれるための礼儀・作法だ。
モノを送る。かつての作法に従えば礼はまずは手紙、次に葉書、致し方なく電話ともなれば〝電話で失礼させて戴きます〟などと言ったものだ。失礼とは最も簡便・簡単な方法による礼であったからだろう。
今はメールという簡単至極な手段があって一見ありがたいようなものだが、注意しなければならないのは便利な方法が巷にあふれ出すと、途端に思いが簡単になっていくことだ。
感心に思う人達がいる。親子間にあってもしっかりと礼を言い合う家族である。親は子に対してありがとう、と言い、子は親にありがとうございましたと然りげなく言う。こうしたことは身近な間柄においてこそ大事なことだと判っていても、なかなか出来ないことだ。最も親しい関係であるからこそ、これが最もむづかしい。もっともむづかしいのはそれが出来ればあとは心配ないからである。
身近な関係のひとつ、私の仕事場においても時々危ない現象を見る。礼を忘れないように、礼を欠かないように、と常々心がけてはいるが、以前70代の建主から老婆心ながら、と次のように指摘されたことがある。
「打合せの後に食事にお誘いする、あるいは何か土産を差し上げる・・・・・その時は勿論ちゃんと礼を言いますよ。でも次にお会いした時には一向に礼を言いませんな。
〝この前はありがとうございました。〟
〝先日はごちそうになりました。〟
こういうことは我々にとっては常識だけれども、今は、あの時言ったからもういいだろう・・・・・と考えるんでしょうな。
住まい塾のスタッフは皆好青年(当時)ばかりだけれども、ひとつこうしたことも訓練して戴けるとうれしいんですが・・・・・」
差し上げる時には感謝など期待するものではない、というのは差し上げる方の心掛であって、受けた方はちゃんと礼をするというのが心掛でなければならない。相方相俟っての真の礼節であろうと思うからである。