2015年12月7日月曜日


コラム 14 <礼節―その②>  

 礼と礼が出会うから節となり、それが礼節と呼ばれるようになった―――「礼節の国・日本」とはそういう国であったのだろう。江戸・明治の時代に日本を訪れた幾多の異国人の眼には、そのように写ったようだ。これは日本人として胸に刻むべき教訓である。 

 〝衣食足りて礼節を知る〟という言葉を、実感をもって受け取れた時代がたしかにあっただろう。しかし我々は今〝衣食足りて礼節を忘れる〟時代に生きている。貧しさは人間に礼節を忘れさせたことがあったかもしれない。しかし、物にあふれた状況もまた人間に礼節を失わしめるものであることを、我々は現に経験している。今よりはるかに足りなかった時代にはるかに礼節が息づいていたとは、どういうことであるか。不足にもまた礼節を育てる力があったということなのだろうか。 

 他人行儀な、という言葉がある。日本人には、親しい間柄においてしっかり礼を言い合うことにためらいを感じる風潮がある。
 逆に、親しき仲にも礼儀あり、とも言う。そんな心理がバランスよく保たれている内はまだよかったが、このモノ余り時代に感謝の念と共に急速に礼の心が失われた。失礼・失念の時代を通り過ぎて、欠礼・欠念の時代となったのである。

  ・親しきなかに礼を欠く 
  ・簡便の中に礼を失う
  ・多忙の中に礼を忘れる 

 こうなるのは人間の常なのであろう。ならばこそ我々は、かつての日本人が身につけていた礼節というものを、今一度想い起してみなければならないように思う。
 〝礼状を書けぬ程、戴き物をしてはならない〟とは、大正期に生まれた母の無言の教えであった。あの時代の多くの日本人の胸の内には、このような教訓がひとつひとつ息づいていたものだろう。
 こんなことを先日ある会社の経営者と話したら、今それをやろうとすれば社内マニュアルがいる、と言われた。