コラム449 <強き善>
もうすぐクリスマスがやって来る。教会に通っていた頃の事や仲間のことを懐かしく思い出す。教会では仲間のことを〇〇兄弟、〇〇姉妹と呼び合う。神の元に皆兄弟・姉妹であるという意味なのだろう。
その頃聞いた言葉に次のようなものがある。
〝人がいいだけで天国へ行けるなら、天国は悪人にやられてしまうであろう〟
一瞬どういうことかと思ったが、今ならよく判る。人と人がつながりを持つ時、どういう訳か良き人どうしがつながっていくよりも、悪しき人どうしがつながっていく力の方が勝っているのは昨今の世相を見れば理解できる。仏教で末世の時代と云い、キリスト教でも最後の審判の時というのはこういう時代を云うのであろうと思う。
上の言葉は、キリスト教会に通っていた40年程前に、ある指導者が語られた言葉のひとつである。今でも記憶しているというのは善も強き善でなければならない、と心底思ったからである。バブル期の殺伐(さつばつ)とした時代状況を通じて、〝悪にうち勝つ善を・・・〟と思わせられた。
〝善は強いものだ〟と宗教上は教えるかもしれない。が、現実には悪に押しつぶされる善も数多くある。
サタン(悪魔)は元は有能な天使(ルシフェルあるいはルシファー)だったことも忘れてはならない。あることをきっかけに神に逆らい、天から堕ちたのである。それ故、「堕天使」と呼ばれるのである。地上に悪がはびこるのは、そのせいであるかもしれない。



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