コラム324 <白井晟一の想い出 ④> ───衣食足りて礼節を忘る?───
衣食に不足している国や民族は世界に沢山ある。一方経済文明が発達し、衣食があり余って大量に廃棄されている国もまた沢山ある。その代表格のひとつが、この日本である。
食事は残さぬように、米はお百姓さんが八十八回もの手間をかけて育て、やっと我々の食卓に届いているのだから、一粒たりとも無駄にしてはいけない、衣についても我々が小さかった頃には継ぎ接ぎ(つぎはぎ)を当てたものなど全く珍しくはなかった。美しいあの藍染(あいぞめ)木綿布刺子なども、背景には次々と買う訳にはいかない布を丈夫で長持ちするようにと、母親達が夜なべをして手間を惜しまずに作られたものがほとんどだろう。
今は時代も変わって大量生産・大量消費で、着ないものを山ほど持っている人もめずらしくない。穴があいたり継ぎを当てた服はファッションにすらなり、捨てられる食糧は膨大な量である。以前あの『ヒルトンホテル』から出る食事の年間廃棄量を知って驚いたことがある(確か週当たりトン単位であったと記憶している)。刺子などは、地方の古民芸のひとつとして「民芸館」などに展示されることはあっても日常生活の必要から作ったりする人はもういない。物質文明社会はいずれにしても、大量生産・大量消費・大量廃棄の時代に向かう。それがGDPを押し上げ、また同時並行的に地球規模の問題を抱えることになっている。
私は師白井晟一に一度きつく諭されたことがある。夏にどなたかが送ってくれた極上の素麺を、私に下さったことがあった。それから一週間程経った頃に
〝この前の素麺はどうだった?〟
〝とてもうまかったです・・・〟
〝君ね、戴きものをしたら、礼のひとつ、感想のひとつ位言うのが礼儀ってものじゃないか、物があり余るほどの時代になったが、そういう礼儀は忘れちゃいかんよ〟
その頃の私は修行の身故、日々の生活に事欠く程貧乏だった。そんな状況下の私ですらそうなのである。限度を超えては礼節など言っていられないこともあるかもしれないが、衣食が不足していた時代の方が家庭での躾しかり、かえって礼儀・礼節はしっかりしていたのではないか。辛(かろ)うじてそんなことが比較できる時代に生まれ育ったから、余計に思うのである。
だからということでもないが、住まい塾の本部では誰かから戴き物をした時には必ず誰から戴いたものかかが判るようにシールに書いて貼るようにしている。その上で礼状もしくは葉書、最低限電話なりで礼を欠かないように習慣づけている。誰から戴いたものかも知らず、考えず、感謝の気持もなしにムシャムシャ食べている姿などは美しくないし、言語道断だからである。
私の場合、こういう面に関しての躾は母が厳しかった。その当時は面倒くさがって反抗したりもしたであろうが、親の躾というものはどこか身に染みているものである。白井晟一の諭しと通底するものがある。
あの諺は今の時代となっては
〝衣食足りて、礼節を忘れるなかれ!〟
と言い替えねばならないようだ。