コラム305 <野鳥の最期(さいご)>
野鳥であれ、野生動物であれ、死に時と死に場所はしっかり弁(わきま)えていて、事故死等の例外を除いては、人知れず、静かに、死んでゆく。
あっちが辛いの、こっちが苦しいの、こうしてくれ、ああしてくれということもなく、ジタバタせずに死んでゆく。いい腹構えではないか。
彼らの世界には、救急車も無ければ病院も無い。自らの命をひたすら生き、時が来れば静かに目を瞑(つむ)るのである。見事なものだと思う。生半可な悟りを開いたお坊さんよりも、この死への静寂ぶりはすごいのである。
朝、室内の空気を入れ換えるために開けた窓から入ったのであろう、一羽の野鳥が広間の透明ガラス窓にぶつかってはパタパタしている音がする。
これまでにも同様のケースが幾度かあった。ほとんどはガラスがあるとも知らずに突っ込んでしまうから、首の骨を折るようだ。余計なこととは知りながら、看病したこともあるが、その内瞼(まぶた)を閉じかげんになって、最後には息絶えてしまう。
特に外側のガラス窓は場所によって鏡のようになり森を写すから、野鳥達には森の延長に見える。その分普通のスピードで鋭く突っ込むから、だいたいは助からないのである。
死んだ野鳥を外に埋葬した例はこれまで三度ある。ウソの雌(めす)と雄(おす)が一度ずつ、(メスが先に亡くなり、暗くなるまで悲しい声で鳴いていたオスが翌日同じ場所で、後を追うようにして亡くなっていた。)その亡き骸は仲良く一緒にシダの葉を敷きつめ、葉でくるむようにして土に返した。
あとの二回はルリビタキである。めったに姿を見せない美しい小鳥だが、私の記録には2010,5,2と2012,5,10とある。
今回は外で親鳥がしばらく鳴いていたし、小さかったからミソサザイの幼鳥であったかもしれない。振り返って見た時に、ロフトの上に飛んでいったから、広間の窓を全て開けて、ベッドに腰掛けながらしばらく様子を見ていたが、窓から出て行った気配もなく、ロフトで弱っていやしないかと近所の仲間に来てもらったが、その様子は無かった。連れ合いはイヤだ、イヤだ、恐くてとても見れないと言う。姉にも見てもらったが、どうもその姿は無かったようだ。
一瞬目を離したすきに、窓から出て行ってくれたのであればいいのだが・・・。