2021年3月1日月曜日

 

コラム206 <私は臨床体験派 その①>

  住宅の仕事をしていると、確信をもって判断できないことが色々ある。身をもって体験していないことがらについては、なおさらである。その時はどうするか。できることなら身を張って体験してみたいところだ。そのように考えて試みたことがいくつかある。それをここに思い出すままに挙げてみようと思う。

       蛍光灯と白熱灯・LED

 今はLED時代だが、蛍光灯全盛時代に我々は白熱灯にこだわり続けた。電磁波の問題もやゆされた。蛍光灯にだって白熱灯色というものがあるにはあるが、ガラスの色だけで解決する問題なのか……
 そこで私はこの二点をそれぞれ朝まで点けっ放しで寝てみた。結果は蛍光灯の方は目がはれぼったくなり、めざめの気分が不快であった。一方、白熱灯の方はそんなことはなかった。調光器(明るさを調整できるスイッチ)で薄明りにして眠るのも、夜トイレに起きたりする時の安全性という意味でも、安眠という意味でも白熱灯の方が良好だった。さらにLEDの出始めた頃、同程度の明るさ(コードペンダント)の下での食事やフルーツ等、どちらがうまそうに感じるかを実験したが20人中18人が白熱灯に軍配を上げた。蛍光灯とて同様である。食物だけでなく、食卓を囲む人の顔の色や表情までが白熱灯の方がよく見えるという結果であった。現在はもうLEDの時代となり白熱灯の照明器具そのものが絶滅気味だが、限りなく白熱灯色に近づけようとする開発努力が実って、LEDも白熱電球にほぼ近いものが売られるようになっている。LEDをつけっ放しで寝たことはまだ無いから目ざめの気分については不明である。

 

      エアコンと八ヶ岳山中の同一温度は同じか

ある年の8月、八ヶ岳の山小屋で暮らしていたら急遽、大阪と福岡に飛ばなければならなくなった。その頃はまだ松本空港から大阪の伊丹空港便があったから車で松本空港まで行き、飛行機に乗った。山小屋は8月といえども室温が24度を上まわることはまずないし、朝夕は21度位に、日によっては15度位にまで下がり暖房をつける時がある程だ。こんな山の生活からいきなり、1,2時間で大阪の35度前後の生活に飛び込むのである。眠れないのは勿論である。そこで、私はいいことを思いついた。つい昨夜まで21度生活をしていたのだから、同じ室温で眠るのが一番自然だろうと考えて、エアコンを21度に設定して休んだ。だが眠れない。山小屋は涼しいという感じだが、エアコンの同温度はまろやかさに欠け、鋭角的でイタイタしい冷たさだ。これも慣れの問題か、と二日三日と21度のエアコン生活を続ける内に完全にグロッキーになった。その分野に関係している人間達にも聞いてみたが、この原因はいまだに判らない。湿度の問題だろうという人もいるが、そんな単純な問題ではないというのが私の実感だ。暑くとも汗が出ない。完全に自律神経失調気味になった(今でいう熱中症の逆のようだ)。その後大阪から福岡に飛んだ。三日間の滞在であったが、暑さこの上ないのに屋台のラーメンでも食えば汗が出るかと替え玉まで食べたら、益々気持が悪くなって打合わせを済ませて、すぐ宿で横になった。
 この時思った。自然の中の21度とエアコンで人工的に作り出される21度は根本的に何かが違う。空気の質と言ってしまえばそれまでだが、空気の質とは何だ?と聞かれると明確には答えられない。単純に湿度の問題なら技術でカバーできるだろうが、そんなことだけではなく空気の成分分析をすると、きっと分子構造が大きく違っているに違いない。その後、エアコンや物理の専門家に問うてみたが素人の予想の域を出ない解答しか得られなかった。人間あまり驕(おご)るなよ。自然は圧倒的に偉大なのだ。それを人間の考え出す科学技術で何でも補えると思ったら必ずしっぺ返しをくらう。臨床派住宅設計者として、身体を張ってきた私はそう断言する。