コラム 133 < 名言・名句辞典
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退院したら古今東西の偉人・賢人達が、例えば「人生」についてあるいは「死」について、あるいは「病」や「老い」についてどのような言葉を書き遺してきたものかを『名言・名句辞典』などを通じて読み通してみたいものだとベッドの上で思っていた。たった一人の、たった一つの病のためにこれ程多くの人々に迷惑と世話をかけていていいものかと思われて、そんなせつない気持ちがそんなことを思わせたのである。退院後最初に手にしたのが『名言名句の辞典』(小学館)である。
しかしながら、言葉というものは前後の文脈から抜き出して集められてみても、生命の源たる根から切り離されて萎(しお)れた花のようなものとなって、心打つ言葉に出会うことはなかった。早々に、これは自分の足でさがし求め、一人旅の途中で偶然に出会うしかないものだと知った。膨大な資料の中から、他人の集めたものをかいつまんで、効率よく味わおうなんて根性は所詮虫のいい話だ。そんな安直な理解を自然は許さないということなのだろう。
やはり著者が心を込めて書いたものは一冊一冊心を込めて味わわなければ、胸を打つ真理の言葉には出合わぬものだ。苦労を共にして生きなければ、脳みその一部をちょいと刺激する程度に過ぎず、決して魂の糧にはならぬものだと再認識させられた。
読みたい本は山程ある。この生涯中にどうしても読んでおきたい本もある。それを取り出そうとするが、この脚では地階や中二階の書庫まで登り下りできない。悲しくも哀れなものだ。だがひとつだけできることがある。それはインスピレーションを書き記すことだ。イメージをスケッチすることもできるようになった。右手が動くのが幸いだった。
それでも長時間根をつめることができない。できるが、そのあとぐったりする。複雑な回路の神経が疲れるのだろう。皆に教えられたように焦らず、へこたれずに行こうと思う。