2017年7月24日月曜日

コラム 99  二羽のスズメ  

6月下旬のある日、山梨県塩山市牧丘町の工事現場に向かった。勝沼インターで降り、2号線を左折してフルーツラインに入る。それからは山の中腹を走って牧丘町まで一本道だ。
この季節はさくらんぼが最盛期を迎えていたが、のどかで見晴らしのいい桃やぶどうの畑が広がって、牧丘町辺りまで行くと山の斜面のあちこちにピンクや黄色の樹花が散りばめられ、さながら桃源郷といった風情だ。時々車がすれ違う程度で交通量も少ない。 

ここでの仕事を終え、昼には皆でうまい蕎麦を食べた。
帰途運転しながらすぐにうとうとし始めたのは寝不足のせいもあったが、そればかりではなく、こののんびりとした風景のせいでもあった。
が、突然眼が覚めた。路上に車輪につぶされてペッタンコになった一羽のスズメと、その脇にその場を離れようとしないもう一羽のスズメがいたからだった。急ハンドルを切って幸い轢()かずに済んだが、動こうともしなかったあのスズメは一体何だったのか。
あれは石ころ二つだったのかもしれない・・・・・そう思い直そうとした。だがいや、たしかに二羽のスズメだった。しかし、そんなことがあるだろうか。 

山中に年の半分以上を暮らす私には不思議な体験がある。窓ガラスに強く当たって番(つが)いの一方を亡くし、その場を離れようとせずに暗くなるまで悲しい声をあげて鳴き続けていたウソ。さらに驚いたことに翌朝残された一羽が同じ場所に同じ姿で死んでいた。後追い自殺だと思った。シダの葉を敷き、青葉を飾って二羽を同じ場所に弔(とむら)った。
後日、そんな事情など何も知らない仏画師の安達原玄さんはその脇を通った時、〝あれっ?今二羽の小鳥が目の前を飛んだのに、姿が見えない・・・・・この辺に何かあった?〟と私に聞いた。明らかに霊の視える人であった。


またこんなこともあった。何が起きたか判らないが、樹の葉陰に止まって何日も動かぬ一羽のキジバトがいた。強い雨の中でもじっとそこに留まり続けた。いつもはエサ台にやってくるのだが、エサを食べようともせず、日に日にやせ細っていくのがこの目にも明らかだった。
もう飛べぬのではないかと心配した私は、すぐ傍まで近づいて声をかけた。少し体をふるわせたかと思ったらやっと羽ばたいて飛んでいったのだが、あれはきっと番(つが)いの一方をテンかキツネにやられたものに違いないと私は確信した。あんな姿はこれまで初めて見たからだ。
そんなこともあって、私にはあの二つの固まりが単なる石ころであったとは思えないのだった。