“善行とは天に積むものなり”という。
天にどうやって積むのか?などと野暮なことは言うまい。
それは一羽の野鳥、一匹の野生動物、一輪の花、一枝の花の命を通じてのこともあるし、我々が口にする日々の糧、日々の器、日々の仕事を通じてのこともあるだろう。言葉を通じてのこともあれば祈りを通じてのこともあり、また人を通じてというばかりでなく、多く人知れずということもあるだろう。
これらすべてに通底するものは感謝の念と愛情である。それらは言葉をかえれば、すべてを生かす道ということが出来る。
“自分の胸に手を当てて考えてみよ”とはこれまでしばしば言われたことである。そうすることで人間の道はだいたい見えたものだ。だが現状の悲劇はこの胸に手を当てて考える余裕も、さらに当てるべき胸をも失っていることだ。
“病に留意せよ”とは肉体のことばかりではない。真の病は心にあるからである。
肉体の病はどんな病でも、あの世にいけば癒えるという。だが心の病はあの世に行ってもそう易々とは癒えないもののようだ。それはそうだろう。持って行けるのは心だけ、というのだから・・・・・。
“こころの偏りに留意せよ”とはそのことである。
自分の胸に手を当てれば、善行とは心の偏りからは生まれ出ないものだと知ることが出来る。病とはいかなる意味でもこの善業から離れることだからである。
自責の念を込めて言う。
こんな時代なのだ。
心して平和を生み出す者であれ!