コラム315 <愛情その①>
先月3月5日、70日間の冬季入院リハビリを終えて退院してきた。
今冬はコロナの影響で、リハビリのセラピスト達が登院できない日が多かった。私を担当してくれている理学療法士 須江さんも10日間程登院できない日が続いた。須江さん担当の日は歩きがハードになるから、自主トレを含めて一日2000歩は越えるのだが、本部との電話会議などあったその日は、夕食後の私の万歩計は500少しを指していた。
一日最低1000歩を目標にしている私は、廊下を一往復すると百数十メートル、歩数にして約300歩程になるから、あと二往復だ、そう思って廊下に出て歩き始めた。コロナの影響で、皆自分の部屋で食事をとることになっているから、食後の廊下は閑散としていたが、途中で一人90才程の車椅子に座ったおばあさんに出会った。
〝こんばんは〟とあいさつしたら、にこりと笑って
〝一回りしてくるんかい?〟と聞く。言葉からしてこの辺の人だろう。
〝いや、廊下の端まで行って帰ってきます〟と言ったら、
〝わたしもその後をついていくわ〟と言う。
私の歩く速度の方が速く、折り返してきたら、又会った。
〝お互いがんばりましょう!〟と言いかけて止めた。そのおばあさんが
〝歩けていいねえ。私みたいに脚が無かったらがんばりようがない・・・〟と言ったからである。トレーナーかパジャマをはいていたから判らなかったのだ。左ヒザ上10センチあたりから下が切断されて失われているのだった。その部分が左ももの上に折りたたまれていた。
〝もう年だから死にたいんだけれど、なかなか死なせてくれなんだ・・・切ないねえ・・・〟
〝切ないですねえ・・・がんばると言っても、もうすでにがんばって来たんですものねえ・・・〟
おばあさんは目に涙を浮かべた。
毎冬、12月末から3月上旬までの70日間リハビリ入院を5年続けてきたが、いつから入院したのか会うのは今日が初めてだった。これからは廊下で出会ったら言葉を交わすことができる、表情を交わすことができる。それだけでも病に苦しんでいる人にはささやかななぐさめなのだ。だから私はがんばっている風を見せず、あまり苦しそうな顔もしないでいようと思った。だが、それがなかなかむずかしい。
苦しみや辛さというものは人それぞれに固有のものだ。だから他人と比較することができない。右腕を失った人は、すでに切り落とされているのにあるように感じられて、その気持ち悪さがたまらなく苦しいという。〝殺してくれ!〟と叫びたい程だという。私にできることと言えば苦しんでいる人々の辛さが、心の苦しみと共に少しでも和らぎますように・・・と食事の度ごとに祈る位しかない。