2022年6月13日月曜日

 コラム273 <人間はなぜかくも、問題を起こすのだろう>


 戦争、侵略、戦さ、闘い、抗争、対立、憎しみ合い。人類は問題を起こすのが好きなのかといえば、そんなことはないだろうと思われる。

 だが、いや好きなのかもしれないと、そう疑ってかからなければならない事態が次から次へと起きる、起こす…しかも歴史を繙(ひもと)くまでもなく、古代から数多(あまた)の戦さを繰り返している。誰の幸せにもならないというのに…。世界中で、国家間で、民族間で、集団内で、日常生活における個人間で…心が安らぐ暇がないほどだ。


 残酷、残忍、残虐を好む者はそう多くはいないだろう。だが、人類の歩んできた歴史をたどると、いやそうではないかもしれない、と思われてくる。性善説を説く者あれば、性悪説を説く者がある。結着を見ないところを見ると、この二つは表裏一体なのではないか。


 寛容、優しさ、思いやり―――人間の心の美しさは泥の沼池に沈み、その底から叫び声が聞こえてくる。

 2500年も前に孔子は言ったではないか。

 

 〝おのれの欲せざるところは人にも施すなかれ〟

 

 これが仁の根本、即ち人間が人間であるための第一義である、と。聖書にも同様のことが説かれている。仏典でも同じことを教えているのではないか。


 朋よ、朋よ、心を結ぼう。

 皆、自分の胸に手を当てて省みてみよう。自分ははたして人間であり得ているか…と。やさしい心で、苦しんでいる者により添い、小さな声で励まし続けているか?…と。